『京大生』のエロゲ備忘録

現役『京大生』がプレイし終わったエロゲの感想を淡々と紹介していくブログです。一部amazarashiと『論理哲学論考』の考察も含みます。一部の作品ではネタバレ全開で考察を書いています。アメブロでは成績公開をしていました。

孤独ノユリカゴ(物語的感想・考察)【SILKP.O.D.】【非18禁内容】

SILKP.O.D.」さんによる「孤独ノユリカゴ」に関する感想・考察記事です。

 

前回は「テーマ的感想・考察」と銘打ちまして、物語の内容よりもテーマに絞って僕なりの感想・考察を書きました。

 

今回は、「物語的感想・考察」というタイトルにしまして、反対に物語的要素に絞って書きたいと思います。

 

↓テーマ的感想・考察はこちら

ame-sara1126.hatenablog.jp

 

23.孤独ノユリカゴ(以下コドユリ)

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この記事は先日の夏コミ(C92)で頒布されたばかりの同人ゲーム「孤独ノユリカゴ」の感想・考察記事です。

 

そのため、ネタバレを多分に含みます。

 

DL販売を予定されているとのことなので、そちらで購入しプレイしようかなと思っている方はすぐに引き返してください。

 

それでは、以下から物語的要素に絞った感想・考察を書きます。

 

1.何度も挿入される”日付”について

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コドユリで一番数多く目にする演出は、おそらく「日付の挿入」でしょう。MDプレイヤーに10進数で表示される日付もあれば、2進数で表示される日付もありますし、さらには紙切れに2進数で表示される日付もあります。(計3種類の表記ですね)これらの日付が何を意味しているかが、僕のコドユリ考察の最大の関門でした(後々その関門は別のものに更新されるのだが、それは置いておく…)

 

実は、僕はこの日付が何を意味するか、既に答えを知ってしまっています。というのも、あまりに分からな過ぎてライターさんに尋ねてしまったのです(考察ゲーの根幹を揺るがしかねないことは分かっていますが、でも分かんなかったんだもん(´;ω;`))

 

…とまぁ、禁断の手(僕はそう思っている)を使ってしまったわけですが、よくよく考えると当然じゃね?と思ってきました。というのも、このコドユリ、いくつかミスがありましてですね…。それらのミスがあったせいで、余計に混乱してしまい、そもそも僕がライターさんにこれがミスなのかどうか尋ねていなければ、はじめから考察なんてできるはずなかったのです!

 

そのいくつかのミスというのは以下の通りです。

 

1.99年の時間軸のところに「高校に入ってから」という文章があった(本来は99年時点では彼らは中3なので、高校生になったという描写はおかしい)

 

2.97年6月4日で澪と一葉と健大が屋上で話しているシーンがあるが、澪と一葉が屋上の存在を知るのは97年7月7日なので、時間的に矛盾している

 

3.98年7月16日が物語の中では月曜日とされているが、実際のカレンダーと照らし合わせると木曜日になので、矛盾している

 

3のミスは、どうでもいいミスなのです。本質的なところには一切関わってきません(…でも、正直に言うと、ここがあったせいで、2進数で表記されてる時間軸は曜日も現実世界と違う異世界なのかなどという荒唐無稽な考えに支配されていました…)

 

ですが、1と2のミスは結構重大なミスだと思います…。というのも、この2つがあるせいで、2進数で表示された時間軸の世界と10進数で表示された時間軸の世界とは異なる世界なのか…?などという考えが生まれてきてしまったからです(僕はこういう仮説にずーっととらわれていました…)

 

まぁ、ライターさんに確認したところ、単なるミスだったようですので、本当に安心しました。今現在、修正パッチなどがあてられているか僕は知らないのですが、DL販売までにはきっと修正されていると思います(というか、されてないと僕と同じように考察を試みた人たちが混乱してしまう…)

 

とまぁ、僕はこうしたミスにとらわれてしまい、ずーっと考察がまとまらずにいました…(それは単にてめぇが読解力ねぇだけだろうが!)これからコドユリをプレイする皆さん、考察を試みるつもりであれば、上の3つはただのミスですので、気にしないでくださいね!(あ、いや、そもそもこの記事を見る人はすでにプレイ済みなので忠告しても無駄でしたね…)

 

では、話を戻しましょう。コドユリで何度も挿入される日付には、それぞれ意味があります。以下に書くことは、先ほど申しました通り、僕が辿り着いた答えではなく、ライターさんから直接聞いた答えですので、そもそもお伝えするべきなのかどうか迷いましたが、かいつまんで書くことにしました。そうすれば、僕と同じようにコドユリをプレイし、何となくでしか物語を理解できていなかった方にとっても有意義になるかもしれないと思ったからです。では、以下にその答えをば…

 

まず、MDプレイヤーで表示される日付についてです。MDプレイヤーで表示される日付の表記方法には2種類あります。1つは10進数、もう1つは2進数です。なぜ片方は10進数でもう片方は2進数なのか。これには明確な理由があります。

 

大前提として、手記のシーンでありましたように、澪は「こちら側の世界」と「向こう側の世界」の両方を行き来しています。「向こう側の世界」とは、蛾と電柱が話していたように、「全ての意識が電気信号でできており、コンピューターと同じように0と1だけで成り立っている世界」です。そして、澪は夢という形で、忘れていた記憶or自分以外の人の記憶を思い出していきます。澪がそうした記憶を思い出す際に、「向こう側の世界」を通していると、その日付は2進数で表示されるのです。一方、単純に自分の記憶として、言うなれば「こちら側の世界」を通して思い出す際に、その日付は10進数で表示されるのです。

 

例を挙げますと、「1100001/100/100」という2進数が挿入されたとします(ちなみに、これを10進数に直すと「97/4/4」です。実際に、この日付が挿入されたのは、本編では始業式で澪と健大と一葉が出会うシーンです)。このときの日付が2進数で表示されているのは、澪が「向こう側の世界」から、誰かの記憶(ここでは澪と思われる)を夢という形で思い出しているからなのです。(うまく伝わっているでしょうか…?僕自身、曖昧な理解ですのでしっかり伝えられているかどうか…)

 

続いて、紙切れに2進数で表示される日付についてです。これは、澪が手記に書いた「孤独ノユリカゴ」といういわば”自伝小説”が書かれた日付を指しています。澪が「向こう側」で見たことを書き起こした日付を指しています。

 

例を挙げますと、「1100011/110/11110」という2進数が挿入されたとします(ちなみに、これを10進数に直すと「99/6/30」です。実際にこの日付が挿入されたのは、本編ではいつのまにか夜の教室にいたシーンです)。このときの日付が紙切れに2進数で表示されているのは、澪が99年6月30日に「向こう側の世界」でその記憶を経験し、それを夢という形で思い起こし、手記に小説として書いたということを意味しています。(またまた、うまく伝えられているか不安です…)

 

2.”こちら側の世界”と”向こう側の世界”

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澪が行き来した「こちら側の世界」と「向こう側の世界」という2つの異なる世界。このことに関しては、上記の日付よりも理解がしやすかったように思います。というのも、澪が手記のシーンで結構分かりやすく語ってくれたからです。…ですが、いくつか分かり切れなかった部分もありましたので、そこを含めてここに書きたいと思います。

 

先ほど書いたように、紙切れに2進数で表示された日付の後のシーンは、すべて澪(澪じゃないともいえる)が「向こう側の世界」で経験したことです。その視点は、健大のときもあれば、澪のときもありますし、一葉のときもありました(そうした視点の交代、記憶の交代を示しているのが、稲妻のような横に流れる光でした)

 

「向こう側の世界」で視点となっている意識は、澪でもあり一葉でもあり健大でもある、いわば「合成意識」(本編では意識の”重ね合わせ”と表現されている)です。そうした合成意識が主体であるため、他の人間の記憶があたかも自分の記憶のように降りかかってくるわけです(序盤中盤で、たびたび「俺」という一人称から「私」「わたし」という一人称に変わっていたのはこういう理由からです)。

 

合成意識とは、澪と健大と一葉の意識の合成のことですが、一葉の意識だけは明確には共有されていなかったようです。共有されていなかったというより、一番奥深いところに存在していてはっきりと知覚できるほどには顕在化していなかったと言った方が正しいかもしれません(それがなぜなのかということについては、まだまだ考察の余地がありますが、澪や健大と比較して一葉の損傷が大きかったことによるのでしょうか…?)

 

上で書いた通り、一葉の記憶は、合成意識の中でも特に希薄に共有されていたと言えます。そうした過去の一葉の記憶が生み出したのが、「レイ」という少女だったというわけです。要するに、序盤中盤で出てくる「レイ」は、澪をモチーフにしているのではなく、過去の一葉が出会った「レイおねーちゃん」をモチーフにした存在であったのです。(レイについては、この後に書きますので、ここでは先に進みます)

 

3.時刻表らしき画像について

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澪が最後に踏切に向かったシーンで唐突に表示されるこの2枚の画像。最初に見たときは、意味不明でした。…ですが、色々考えてみた結果、これは「総武線の貨物列車の時刻表」だということが分かりました。

 

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ほら、一緒ですよね…?

 

わーいわーい、大発見だぁ~( ゚∀゚)

わーいわーいわーいわーい!!( ゚∀゚)

 

……………で????

 

だから何だってんだよォ!!!

わけわかんねぇよ!!!

ふざけてんじゃねぇぞコラァ!!

 

……って、なりますよね????

 

…とまぁ、その時の僕もこんな感じになりまして(-_-;)「総武線?貨物列車?時刻表?は???」としか頭には浮かびません。僕もそうでした。この部分にかなり苦労しました…。さらによく見ると、2枚の画像で1か所だけ違うところがあるんですよね。1枚目では「1757」となっているところが、2枚目では「1857」となっています。元々の画像では「1148」になっていますので、3枚ともその1か所だけ違うことになります。…余計に????ですよねぇ。結果、いくら考えてもこの画像の意図が分かりませんでしたので、ライターさんにギブアップ宣言をいたしまして、答えを教えていただいたわけでございます…。その答えは以下の通りです。

 

まず、大前提として、「こちら側の世界」と「向こう側の世界」では世界の規定が大幅に異なります(蛾と電柱の話によると0と1のみで表示される世界でもあるらしい)。そして、その2つの世界を行き来する場所(いわば”特異点”)が踏切であったのです。澪と一葉と健大の合成意識があの踏切に行くと、2つの世界は交わるのです(今思えば、踏切が呪われているという噂や、健大が妙な気配を感じるという描写も、これを暗示していたのですね)

 

そもそも、踏切で澪たちが事故に遭ったというのはどういうことなのでしょうか。普通に考えれば、そんな事故が起こると思えません。それを紐解く鍵が、先ほどの意味不明な時刻表の画像だったのです。1枚目の画像は「こちら側の世界」の情報で、2枚目の画像は「向こう側の世界」の情報だったのです。

 

1枚目の世界、すなわち「こちら側の世界」では17時57分に貨物列車が通ります。一方、2枚目の世界、すなわち「向こう側の世界」では18時57分に貨物列車が通ります。実際に澪(合成意識)が何時に踏切を通ったのかはわかりませんが、澪(合成意識)はこの2つの世界が重なり合ったことによって事故(少なくとも彼らの合成意識の中では事故)に遭ったのです(電車が踏切を通る一瞬だけ実体化した、といったように)

 

うーん…うまく伝えられたか、またまた不安ですね…。要するに、時刻表のような意味不明な2枚の画像は、上で書いたようなことをほのめかすヒントであったわけですね。なるほどぉ、よく分かりました(´・ω・`)そんなの分かるわけねぇだろ!!

 

4.レイという存在/1つの仮説

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 2でも触れましたが、レイは、合成意識の中の一葉の過去の記憶が生み出した存在です。つまり、幼稚園生のときの一葉が出会い、恋をしたレイおねーちゃんという存在をモチーフにして、3人の合成意識の中で生み出された存在です。

 

本編でもあった通り、幼稚園生のときの一葉(以降「ロリ一葉」と呼びます)はレイおねーちゃんに出会い、彼女に恋をします。しかし、ロリ一葉はレイおねーちゃんが血を流しているイメージを夢の中で見てしまいました。その夢のイメージがコドユリのキービジュアルになっていた下の絵なのです。

 

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このキービジュアルに描かれていたのは澪じゃなくて、レイおねーちゃんだったんですねぇ!体験版部分でも目の色が澪と違っていたので少し疑問に思ってはいたのですが、目が赤いのもそういう意味だったんですね~(´・∀・`)

 

ロリ一葉はこのイメージ(レイおねーちゃんが血を流すイメージ)を夢で見てしまい、その悪夢が現実化することを恐れていました。それをレイおねーちゃんに打ち明けましたが、レイおねーちゃんは優しく否定してくれました。安心したロリ一葉ですが、その夢は現実のものになってしまいました…(実際にレイおねーちゃんが死んだ描写は本編にはありませんが、死んだという噂が流れる)(ロリ一葉って地味にじわるw)

 

大好きなレイおねーちゃんを自分の夢で失くしたロリ一葉はその記憶を長らく忘れていました。それだけ辛い記憶だったということでしょう。しかし、その夢を再び見てしまったのです。その描写は「1100010/111/1001(98/7/9)」にあります。澪が健大と屋上でショパン夜想曲を聴いているところを一葉に目撃されたあのシーンです(OPにも挿入されていたシーンですね)

 

要するに、「向こう側の世界」で澪と一葉と健大の意識が合成され、その記憶が共有されたことで生じたのがレイという新たな人格です(レイとレイおねーちゃんは別の人格です。あくまでレイおねーちゃんはレイのモチーフに過ぎません)

 

以上がレイという存在に対する答えなのですが、ここで生じるいくつかの疑問があります(少なくとも僕はいくつかの疑問を抱きました)

 

1.澪とレイの外見が似ているのはなぜか

 

2.澪とレイの名前が似ているのはなぜか

 

2の疑問については、ライターさん曰く、答えはないそうです。そこはユーザーが自由に解釈・考察するところであり、特に答えを定めていないそうです(このように答えの定まらない疑問は他にもいくつかあるのですが、それは次項でまとめて記述し、それに対する僕なりの答えも一緒に書きます)

 

一方、1の疑問については、ライターさんからすでに答えを頂いています。結論から申しますと、2人の外見が似ているのは単なる偶然だそうです。

 

単なる偶然だったと言われれば、あぁ、それでよかったんだぁと、どこか安心したような気分になれますね。…ですが、僕はそこに今まで納得できなかったんです。澪とレイの外見が似ているのにも、何かしらの理由があるのでは…?と邪推してしまい、ひたすら仮説とも呼べないような考えばかりが頭を巡っていたのです…。

 

偶然だったという答えを頂いた今、それらの仮説は何の意味も持たないのかもしれません。ですが、せっかくなので、考えていた仮説も一緒に書かせてください。答えがすでに与えられているので、今から書く僕の仮説(より正確に言うと僕ではなく知人の仮説でもあるのですが…)が結果的に間違いだったことは自明なのですが、記録として、せっかくなので書いておくことにします。

 

名付けて、「澪タイムスリップ説」です!

 

最後の手記のシーンで、澪は、光を拒絶して右目を潰しますよね?そして、澪の世界はすべてが赤く染まりました。目を潰したのであれば、当然、その目は赤く染まるでしょう。ここでレイの目を思い出します。レイの目の色も赤でした。このことを考慮すると、レイって”右目を潰した後の澪”とも考えられませんか?

 

目を潰した後の澪が、タイムスリップして、ロリ一葉に出会った。つまり、レイおねーちゃん=澪で、本編ではレイおねーちゃんは行方不明の後に死亡したとされていたが、実際にはただ未来に帰っただけ。…という仮説です。「澪タイムスリップ説」の名の通り、澪が過去にタイムスリップしたんじゃないかという仮説です。

 

まぁ、この仮説の基盤はボロボロなんですがね…。根拠と呼べるものは、「レイの目の赤色が、澪が目を潰した後の赤色と一致する」くらいしかないですしね…。そもそも、澪がタイムスリップする動機も意図も分かりません。幼い一葉に会いたかったから?過去を変えたかったから?いずれにせよ、支離滅裂な行動になってしまいます。

 

…ですので、澪とレイは本当にただ外見が似ていただけと考えた方がシンプルなのです。僕はまだこの都合のいい結論にいまいち納得し切れてないのですが、対案が浮かばないので、僕に反論する資格はありませんね…

 

5.答えのない疑問とそれに対する僕なりの答え

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上に載せたたくさんのメモは僕がコドユリのために作ったメモの一部です。全部合わせると相当な量になると思います。…このくらい頑張って考察しても、全部読み解くことができない、そんな難解なゲームがこのコドユリです(だから、てめぇが実力不足なだけだって言ってんだろ!)

 

4で書きました通り、コドユリにはライターさん自身も答えを提示していない疑問がいくつかあります。それは僕が見つけた限りでは、以下の3つです。

 

1.澪とレイおねーちゃんの名前が似ているのはなぜか(澪は「朱川澪」、レイおねーちゃんは「赤川玲」だった)

 

2.レイおねーちゃんの死のそもそもの原因は何だったのか(一葉には元々そういう予知的な能力があったのか、夢を現実化させてしまう能力があったのか)

 

3.レイおねーちゃんも一葉たちと同じく男1人女2人の3人組だったらしいが、これは単なる偶然の一致なのか(それとも必然的帰結なのか)

 

では、順番に僕なりの妄想・考察を書いていきましょうか。

 

まず、1の疑問についてです。澪とレイおねーちゃんの名前がそっくりなのはなぜなのか。澪とレイおねーちゃんの”外見”がそっくりなのは、先ほども書きました通り、単なる偶然とのことでした。…ですが、名前まで似ているというのはちょっと不自然じゃありませんか…?ある2人の外見がそっくりで、さらに名前まで似ているって…そんなの天文学的確率だと思いません…?(ご都合主義と言われればそれまでなのですが…)

 

…ということで、僕が出した答えはこうです。

 

それは先ほどと同じように、「澪=レイおねーちゃん」という考えです。外見だけでもいまいち納得し切れないのに、名前までそっくりなんですよ?それをただの偶然だと思えるほど、僕の頭は都合よくできてませんよぉ!…というわけで、僕としましては、まだ澪=レイおねーちゃんという考えの方が現実的に思えてしまいました。

 

…ですが、先ほども書いた通り、この考えも支離滅裂なところだらけです。ですので、やはり答えなどないと考えた方がシンプルで良いのかもしれませんね(ユーザーに答えを委ねているというより、単にライターさん本人も答えを決めあぐねているだけに思えるなぁ…)

 

ここまで散々自分で自分の仮説を否定していますが、「澪タイムスリップ説」を採用すると、他の2と3の疑問も一応氷解するんですよねぇ。そう考えると、この仮説も案外まともなのでは…?と思ってみたり…

 

レイおねーちゃんの正体が未来の澪であり、レイおねーちゃんは実は死んでなどいなく、ただ未来に帰っただけだと考えれば、2の疑問は自然消滅しますよね。だって、そもそも死んでなどいないんですから。死んでいないのだから、死の原因を考える必要なんてありませんよね。…ですが、それでも依然として、一葉が夢の中でレイおねーちゃんが死ぬイメージを見たのがなぜなのか説明付かないので、まだ仮説の域を超えないんですがね…(そもそも答えなんてあるのか!?)

 

同様に3の疑問も一応消滅しますよね(そもそもレイおねーちゃんが3人組だったという描写は文章でしかされていませんし、レイおねーちゃんと一緒にいた男1人と女1人がどういう人物だったのかは全く触れられていません)

 

タイムスリップした後の澪=レイおねーちゃんが、自分と未来の一葉と健大のことを指して、自分たちも仲良しの3人組だったと言ったと考えれば、3の疑問も一応解決しますよね?それだけじゃありません。そう考えれば、レイおねーちゃんが、私も他の2人のことを好きだと言っていた理由にも納得がいきます。だって、澪は実際に一葉のことも健大のことも大好きだったのですから。

 

…まぁ、この理論にも同様に支離滅裂なところがたくさんあります。(依然、どうしてロリ一葉がレイおねーちゃんの死ぬイメージを夢に見たかには、説明がつきませんからね…)

 

とまぁ、こんな風に、答えのない疑問はいくら考えても堂々巡りな気がします。一体どんな答えであれば、すべて矛盾なく説明がつけられるのでしょうか…?(澪とレイの外見と名前が似ていることがすべて偶然だと考えれば一応の説明はつきますが、そうなると今度は、ご都合主義に思えてならない…)

 

そういえば、すばひびもこんな感じでしたね。あれも、いくら仮説を立ててもどうしてもどこかで矛盾が生じてしまいました(少なくとも僕はいまだにすばひびの結論はつけられていません)。さすがにすばひびほどユーザーに答えを丸投げしているわけではありませんが、100%理解しようとすると、コドユリはすばひびを凌ぐ難易度の考察ゲーに成り上がりますね…

 

6.コドユリへの総括的感想

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 今まで散々書いてきましたが、コドユリは「考察ゲー」です。それもかなり高難度の考察ゲーです(僕みたいな読解力のない人だと1週間全身全霊を費やしても理解できないかもしれません…)

 

正直に言いますと、コドユリは、”ゲーム”としては清々しいまでに”クソゲー”だと思います!w (これ以上ない誉め言葉のつもり)

 

どういうゲームを面白い、楽しいと考えるかは本当に人それぞれだと思います。

 

何も難しいことを考えることなくただやっているだけで楽しめるものを良しとする人もいれば、伏線が最後の最後で綺麗に回収されるのを楽しむ人もいます。

 

コドユリは、はっきり言って1周ではあまり楽しめないと思います。

 

ライターさんは浅い読みの方がコドユリは好きになれると言っていました。それは正しいと思います。コドユリは、手記以降の終盤の演出が見事なので(音楽とかイベントCGとか)、序盤中盤は全く理解できなかったくせに、終盤の演出の良さに騙されて、なんかすべて分かった気になれて、一応感動してしまえるのです。あぁ、何となくしか分からなかったけど、そういう話なのねぇ~と思えてしまえちゃうのです。

 

…ですが、中にはそう思えない人もいるようです(僕の友人2人とか)

 

いくら演出がすごかろうが、最後の手記のシーンでそれっぽく説明していようが、序盤中盤の意味不明な演出が多すぎて、そんなんじゃ騙されないぞ!ってなる人がいるのです。

 

そういう人にとっては、コドユリは1周では楽しめないものなのです。

 

そもそもすばひびだって、絶対に合わない人はいますし、アンチもいます。

 

それと同様に、コドユリにも、絶対に合わない人はいるのです(というか、アンチがいてはじめてその作品は考察ゲーと呼べると僕は考えています)

 

上手くまとまりませんが、コドユリはそういうゲームだと思います。

 

僕はコドユリが好きですが、その僕だって、コドユリをプレイし考察している間はものすごく苦しかったですよ?(それこそPCを叩き割りたくなるくらいに!)

 

ですが、それこそ僕の求めていたものなのです。

 

僕の求める娯楽とはそういうものです。

 

他一般の方が考える娯楽とは違うかもしれませんが、それが僕の娯楽なんです。

 

前作「コトノ葉カナタ」と比べると、僕はコトカナのほうが好きです。

 

それには色々な理由があるのですが、テーマがまるで明らかだったという理由が一番ですかね(良くも悪くもシナリオが邪魔しなかったからだと分析しています)

 

ゲームを通して他人の考え(=テーマ)が知りたいと考えている僕は、そもそもゲームに向いてないのかもしれませんね…(本でも読んでろ!って話ですよw)

 

だから僕にとっては、極論、シナリオはオマケなんですよ。

 

でも、それじゃユーザーの支持は得られません…

 

すばひびのようにシナリオもすごくないとユーザーの支持は得られません…

 

だから、やっぱりゲーム制作って難しいなと思う今日この頃です。

 

コドユリは、今回この記事で書いたように、シナリオも熟考の余地が十分に残る作品です。

 

ですので、そういう意味ではコトカナより一般向け(万人向け)なのかもしれません。

 

…でも、それでも10人居たら5人は拒否反応示すと思うなぁ(;´・ω・)

 

ほんと、このサークルさんの作品(というかこのライターさんの作品)は、どれも人に勧めにくい作品ばっかですね…ww

 

常人に勧めたらこっちの神経が疑われかねませんよォ~(´;ω;`)

 

無駄話が過ぎました(´・ω・`)

 

…以上でコドユリの考察記事は終わりにしたいと思います。

 

体験版部分の考察も含めると、全部で4つあったわけですね。

 

まぁ、体験版部分の考察はどれも的外れだったわけですが…(でも、よくよく考えたら、コドユリの文章に修正ミスがあったので、そもそも考察材料が間違えていたわけですよね…だから、体験版部分だけで考察なんて不可能だったんですよね…あの2つの考察は無駄だったのか…)

 

それでは、また逢う日まで…

 

(追記)

次回は未定です。

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