さよならを教えて~comment te dire adieu~【CRAFTWORK】【エロゲ】【考察ゲー】
どうも、京大2次試験も終了して自由時間を持て余している者です。
今回は言わずと知れた「CRAFTWORK」による名作「さよならを教えて~comment te dire adieu~」について書きたいと思います。
前回の次回予告では「炎の孕ませおっぱいエロアプリ学園」となっていましたが…あれは載せられそうなCGが1枚も無いのと、そもそも書くのを憚られる内容でしたので急きょ割愛させていただきます…。あしからず。
次回モザイク処理などを入れたうえで載せたいと思います。
※基本はネタバレしませんが、今回はネタバレあります。途中からネタバレ部分だと明示しますので未プレイの方はそこで引き返してください。
13.さよならを教えて~comment te dire adieu~(以下さよ教)
これほどまで知名度の高い作品を僕が改めて紹介するというのも変なので、ここは既存の紹介を引用させていただくことにしましょう。
これが最もよく「さよ教」を紹介しているサイトだと思います。ネタバレもありませんし。Wikipediaは絶対に見ないでください!サクッとネタバレが書いてあります!
主人公は女子高に通う教育実習生。彼は学校での生徒や教師との付き合いに精神的な疲れを感じていた。
ある日、彼は美しい天使が異形の怪物に蹂躙される夢を見る。校内の保健医にその夢のことを相談していると、1人の少女が保健室に入ってくる。その少女は彼の見ていた夢の中の天使に酷似していた‥。
こちらが上記のサイト内にあるあらすじです。
うーん…ここで僕が何を語ろうとも、先ほど載せたサイト以上の紹介ができそうにありませんね…
ということで未プレイの方は先ほどのサイトをご覧になるだけで十分です!
あとはネタバレ部分としたいと思います。
興味がある方は以下のサイトでDL版が安価で出ていますのでそちらをどうぞ。
さよならを教えて ~comment te dire adieu~
サントラもあります。
たまに無性に聴きたくなるのはなぜなんでしょうか。
注意!!以下はネタバレ部分です!!!
そろそろいいですかね…?
未プレイ陣はお帰りになったかな…?
では!さっそくネタバレ部分を書きたいと思います。
というか僕の感想・考察です。
主人公、人見広介は重度の精神病患者です。
※精神病の中でも、特に「統合失調症」だったと思われます。
※統合失調症には、「幻視」は95%見られないそうですが、最も特徴的な「対話性幻聴」が見られることから、やはり統合失調症と診断されると思われます。
※ちなみに「精神病」とは案外狭いくくりです。たとえばうつ病は精神病ではなく、「神経症」に当たります。誤解なさっている方が多いと思いましたので書いておきました。
彼が学校だと思っているのは精神病院であり、保健医だと思っていた大森となえも、単なる人見の担当医でした。
また、人見は校内で様々な少女と出会うのですが、彼女たちもほとんどは主人公の中にしか存在しない、妄想の存在です。
屋上で佇む孤高の少女、高田望美は「カラス」
中庭で主人公にすり寄ってくる幼馴染、田町まひるは「猫」
図書館の墓守的存在の生真面目な少女、目黒御幸は「標本」
弓道場で出会う朗らかな少女、上野こよりは「人形」でした。
しかしただ1人、実在している少女とも出会っていました。
それが、悪夢の中に現れる天使の姿に酷似していた少女、巣鴨睦月でした。
人見は両親ともに教師という厳格な家庭で育ちました。
大学に入学した後、交通事故で両親を亡くした彼に残された唯一の家族は、姉の高島瀬美奈(姓が違うのは既婚のためか)でした。
瀬美奈は、人見と違ってとても優秀であり、ストレートで一流大学の法学部を卒業し、教師になっています。また、大学受験に失敗し、両親から激しくなじられる人見に対しても、優しく接し彼を励ましました。
しかし彼にとっては、その悪意なき優しさが毒でしかなかったのです。
彼は、瀬美奈にバカにされているように感じ(ここら辺はかなり表現を簡易にしています)、激しい劣等感を抱き、その他色々なことに疲れ切り、現実を否定していきます。
彼が現実を否定するようになった詳しい経緯は本編では明かされませんが、とにかく彼は現実に疲れ切ってしまったのです。
そして、入院していた精神病院の中で、彼は自分が教育実習生であるという妄想を抱き始めます。
これを描いたのが本編です。
妄想の中でも実習生活に苦しんでいた人見ですが、夢の中の天使に酷似した少女の睦月と出会うことで変化していきます。
夢の中では、天使が怪物に蹂躙されていたわけですが、人見は自分こそがその怪物であると自覚し始めます。
そして、夢の中の天使が現実に顕現し、怪物である自分の「黒」を暴きに来たのだと思うようになり、「白」の天使である睦月を恐れ敬うようになります。
実際には、睦月は、学校生活のトラブル(恐らく恋愛関係か)で鬱を抱え、この病院に入院していただけなのですが、人見は睦月を自分の担当する生徒と思い込むと同時に、彼女に天使の姿を重ねています。
そして、妄想の中で、天使が天に帰れなくなったのだと知った人見は、彼女を救えるのは自分だけだと信じ、睦月以外の少女と「さよなら」をします。
そして、天使様の樹の下で、人見は天使が天に帰っていくのを目にし、彼の教育実習生としての妄想は終わります。
その後場面は、彼の担当医である大森となえと、となえの同級生であり人見の実の姉でもある高島瀬美奈が話しているところに移ります。
となえは、担当医として人見を何とか正気に戻そうと努力はしたものの、そのどれもが失敗に終わったと語ります。また、トラウマの原因の1つである瀬美奈を、人見と会わせてしまっていたことに後悔し、医者として彼を救えなかったことにやり切れない思いを抱きます。
しかし、そんなとなえの前に、人見が現れます。人見は、ここが病院であり目の前のとなえが保険医ではなく病院の医者であると認識しており、となえは正気が戻ったかと思い、喜ぶのですが、実際には、今度は研修医としてとなえの下で働くインターン生と思い込むようになっただけであり、再び妄想の世界に入り込んでいきました。
ここで物語の幕は閉じます。
以上が話の概要です。
確かに救いようのない終わりです。
彼は永遠に妄想の世界から抜け出せないのです。
このことから、さよ教はしばしば鬱ゲーに分類されるのだと思います。
しかし、考察するべき内容はまだまだたくさんあります。
物語の中で頻繁に対応される「白」と「黒」ですが、これは「白=人見の弱い部分、理想の姿」「黒=人見の強い部分、欲望の姿」を表しています。
普通の人であれば、自分の理想とする姿と実際の自分の姿が違うからといって、自分の全てを否定したりはしませんが、彼は、何事にも白黒つけないといけないと刷り込まれた「極論主義者、二元論主義者」だったのです。
おそらく、両親が教師であり、彼も教師になるよう強いられた生活が彼にそういう考えを抱かせたのでしょう。
彼は自分の理想とする「白」の姿になろうとしても、実際には大学受験にも失敗し、女性とも接することができず、自分の「黒」の姿ばかりが目についてしまい、苦しみます。
その「黒」に侵略される「白」の自分の姿が夢になって現れたのが、冒頭の天使と怪物だと推測されます。
つまり、人見は睦月=天使だと思い込んでいますが、実際には自分の弱い「白」の姿を睦月に見出しているだけです。
生真面目すぎる人見は、「自己実現」を求めます。
つまり、自分を肯定してくれる存在を求めます。
それが妄想の中で彼が出会う少女達です。
ちなみに最近知ったのですが、この5人の少女の苗字を山手線の駅名に変換し、円形に見立てると、なんと「五芒星」になるそうです。何となく苗字が駅名になっているとまでは分かっていたのですが、まさか形まで考えられていたとは…。京都住みだと山手線の路線図は想像しにくかったです。単なる田舎者だからだろとかは言わないで。
「田町まひる」は特に人見を慕ってくれる存在という毛並みが強いです。
まひる=真昼に変換されるように、幼年期の人見に「真昼」のように温かく懐いてくれる存在を示したのがまひるです。
まひるを、彼の嗜虐心を駆り立て、自分が守ってあげたいと思わせるようなか弱い存在だと思い込むことで、自分が強い存在、すなわち「白」になった気になれるというわけです。
人見に潜む「嗜虐性」を露わにさせるまひるの存在からは、彼の根本にある「躁鬱性」を垣間見ることができます。
「高田望美」は読んで字の如く、人見の抱く「高望み」の象徴だと思われます。
望美は人見と違って孤高な存在ですが、人見はそんな孤高な姿に憧れていたと思われます。
現に、人見の子供のころの夢は「世界征服」であり、世界を征服するためには周りとの関係をすべて断ち、自分だけの世界の中で生きることが必要だが、僕は孤独に耐えきれなかったという言葉があります。
彼は、望美のように人目を気にせず孤独にも耐えられる、孤高な存在になりたかったのでしょう。
一般的に、社会に適合できない原因の1つには、他者を執拗に気にしてしまうということもあることですし、言い方はアレですが、仮に自分がどれだけ社会に適合できなかったとしても、自分がそれでいいと思うことができれば鬱になんてなりませんしね。
他にもあります。
望美は屋上に「rebirth」と書き残しますが、望美を「高望み」の象徴と考えれば、これは人見自身の願いと推測されます。
現実を否定する人見は、不可能と分かりつつも、rebirth=再誕を高望みしていたのです。
人見が望美を殴ったり、望美が自ら屋上から飛び降りる場面がありますが、これらにもしっかり意味があります。
これも、「望美を殺す=高望みを殺す=高望みをしない」という意味と推測されます。
彼は、妄想に「さよなら」し、現実と向き合うためには高望みをやめる必要があると思い、どのエンドでも彼女を殺すのです。
先日考察サイトをふと見ていたところ、望美の考察について面白い考察をなさっている方がいましたので、ここでその紹介をしようと思います。
望美は煙草を吸う父親に凌辱されているという設定ですが、その父親=人見という考察です。
確かに人見が望美を殴るシーンでは、望美が人見に対して「許して、とうさん」と言っています。
その他に根拠がどれだけあるかは定かではありませんが、個人的に面白い考察だなと思いました。
同様に、僕は、望美が凌辱されているというのは単に望美をかわいそうな少女に仕立て上げるための妄想だとしか思っていなかったのですが、それも違った見方があるようです。
人見は天使と見なした睦月に「処女性」を求めてはいるが、心の中では睦月が処女だというのは「高望み」であると自覚しているため、望美は非処女という設定になっているという考察です。
確かにこう考えると、望美が凌辱されているという設定もかなり深い意味があると言えますね。
「目黒御幸」は最も人見に似ており、彼の社会的なコンプレックスが顕現した存在です。
彼女には男性不信であるという描写がありますが、これは人見自身が女性不信であることを示しています。
また、彼女は、博学ではあるものの他人に怯えていますが、これも人見自身と同じです。
彼は、半ば強迫観念に駆られて大学に進学しましたが、その知識を全く活かせず、社会に否定されました。実際には、名もない大学に2浪して入っているので、さほど学力はなかったと思いますが、彼女の知識が全て元は人見のものだと考えると、受験の勉強以外に関しては、博学でむしろ優秀だったのかもしれません。
要するに、自分の持つ特異で得意な知識を活かせず、学校で学ぶ勉強ばかりにとらわれている彼の「学歴コンプレックス」が見て取れると思います。
「上野こより」は彼の女性不信を象徴しています。
下世話な話になりますが、彼女は5人の少女の中で一番スタイルがよく、出るところは出ている豊満な体つきをしており、とても女性らしいです。
このことから、彼女は人見の女性へのコンプレックス、ひいては姉の瀬美奈へのコンプレックスを表した存在だと思われます。
実際、人見が学生のころ、弓道部に入ろうとしたが男子部員が1人もいなかったから断念したという描写があることを考慮すると、彼にとっては、「弓道場=女性優位の社会」というイメージがあったため、彼女は弓道場で現れるのだと思います。
一方で、彼女には人見の「良心、理性」という側面もあるように思えます。
こより以外の少女は、基本人見に優しいですが、こよりだけは人見にどんどん物申します。
これは中々現実に向き合おうとしない人見に対して働いた唯一の「良心」だったとも取れるんじゃないかなと。
まぁ、ただ単に女性に対するコンプレックスを象徴しているから辛辣な言葉ばかり投げ掛けているだけともとれますし、こればかりは推測の域を出ませんが。
あと御幸の時と同様、これも考察サイトを見ていた時に知ったある方の考察なのですが、「上野こより」という名前は「上の子」という言葉が込められているという見方もあるそうです。
こう考えると、やはりこよりは「上の子=年上の人=高島瀬美奈」を表していると考えることができるため、瀬美奈へのコンプレックスを表しているという上記の僕の考察にも、根拠が1つ増えたのではないでしょうか。
「巣鴨睦月」は唯一実在する少女です。
人見は、彼女こそ自分が救うべき天使であると思い込みますが、実際には前述の通り、天使も怪物も人見自身の象徴です。
彼は「自己実現」を果たすために、自分を肯定してくれる存在を求めて、睦月を自分が救うべきか弱い、かわいそうな存在と思うことで、自分が大きな存在になった気になろうとしたのだと思われます。
さらには、人見は睦月に恋していたと思われます。
誰かに愛されるということはこれ以上ない「自己実現」です。なぜなら相手が自分を愛してくれるということは、自分がどんな存在であろうと無条件に肯定してくれるということだからです。
人見は、睦月と恋人になることで、自分を肯定してくれる存在を見出し、「自己実現」をなそうと思ったのです。
そして、睦月を自分が救うべきかわいそうな少女にするために、彼は妄想の中で、睦月は地上に堕ちた堕天使であり、天に帰れなくなったと思い込むようになります。
睦月と恋人になるためには、自分の妄想と「さよなら」しなければなりません。
だから彼は、睦月エンドでは、睦月以外の少女と「さよなら」をします。
しかし実際には、彼は睦月と結ばれませんでした。
睦月が退院してしまったからです(彼は妄想の中では睦月は天に帰ったと思っている)。
皮肉にも、人見が睦月と話すことで、睦月は鬱から抜け出し、退院してしまったのです。
唯一の「自己実現」の可能性である睦月を失った人見は、教育実習生としての妄想を維持できなくなります。
そこで現実に戻れればまだハッピーエンドともいえますが、実際には、彼は今度は研修医としての妄想に走ってしまったわけです。
彼の「自己実現」は永久になされません。
また、作中では「天使様の樹」の伝説の話がありますよね。
確かこんな話でした。
ある男女が恋をしました。男はやくざ者、女は深窓のお嬢様。2人は組織の金を持ち逃げして駆け落ちするも、追っ手に追い詰められる。男は追っ手に手をかけるが、女は他人を殺すくらいなら一緒に死のうと男に持ち掛ける。男は、戦って死ぬならいいが自分で死ぬのは嫌だからお前が殺してくれと語る。女はすぐに自分も後を追うと告げて男を殺すが、死にきれず、追っ手につかまってしまう。残された女を哀れに思った神様が女の魂を救い上げる。神様は女にこう言った。「男を殺した罪は償わねばなりません。あなたはこの樹に宿りなさい。この樹が天まで届いたとき、あなたは天使となるでしょう。そこで愛する人と再会できるかどうかは、あなた次第です。」と。それ以来、この天使様の樹にお祈りすると恋が成就すると言われるようになった。
とまぁこんな話でした。
もちろんこれも人見の妄想の話です。実際にある話ではありません。
ではこれは何を意味していたのか。
思うに、この男も女も人見自身の象徴です。
1人地上に残された女は人見の「白」、すなわち弱い部分、理想の姿を示しています。
樹は成長しどんどん長くなり、いずれ天に届きます。
天に還ることを怪物たる「黒」に邪魔されるため、「白」はもはや樹に宿り天に届くときを待つしかありません。
理想の姿になろうと努力しつつも、理想とかけ離れた姿にしかなれない自分を否定した彼が、「黒」、すなわち欲望の姿を克服したがっていることを表しているように思えます。これもかなり抽象的で、推測の域を出ませんが。
また、その取り残されたかわいそうな女の姿を睦月に重ねることで、かわいそうな睦月を救う自分という形で自己を肯定しようとしたとも推測できます。
タイトルにも使用されている「さよなら」とは何だったのか。
思うに、「さよなら」とは、彼の妄想からの「さよなら」、ひいては現実逃避からの「さよなら」です。
睦月と結ばれることで「自己実現」を果たそうとした彼は、現実と向き合うために、自分の妄想と「さよなら」をしようとしました。
結局は、一度は妄想から抜け出すものの、再び研修医としての妄想に入り込んでしまいますが、彼に唯一残された現実との接点である「巣鴨睦月」と一度は向き合おうとした彼の努力の表れともいえます。
さよなら、それは「いつか聞いた言葉」「いつも聞いた言葉」「僕が聞きたかった言葉」「僕が望んでいた言葉」「最後の言葉」「最期の言葉」でした。
以上で僕の感想・考察は終わりにします。
駄文・長文失礼しました。
(追記)
次回こそは「炎の孕ませおっぱいエロアプリ学園」について書きたいと思います。