『京大生』のエロゲ備忘録

現役『京大生』がプレイし終わったエロゲの感想を淡々と紹介していくブログです。一部amazarashiと『論理哲学論考』の考察も含みます。一部の作品ではネタバレ全開で考察を書いています。アメブロでは成績公開をしていました。

amazarashiへの考察『アノミー』(6498文字)【amazarashi】【アノミー】【考察】

めちゃくちゃ久しぶりのブログ更新です。

 

なんでこんな時間が空いたといいますと、ここ最近はずっとゲーム制作に専念していたからです。

 

↓僕たちのゲームに関する記事はこちら

ame-sara1126.hatenablog.jp

 

それも一区切りがつきまして、時間ができたので、いよいよ本来のブログ活動を再開するに至ったわけです。

 

冬コミにも運よく当選いたしまして、コミックマーケット93「1日目東”コ”59b」にて、哲学系サウンドノベルI AM』を頒布いたします!

 

↓代表兼ライター(僕)のツイートはこちら

 

さて、話を本題に戻しましょう。

 

今回は、僕の好きなロックバンドamazarashiの楽曲考察をしたいと思います。

 

amazarashi関連の記事は今回で4回目ですね。

 

↓第1弾の記事はこちら

ame-sara1126.hatenablog.jp

 

今回紹介するのは、2011年にリリースされた「アノミー」です。 

 

アノミー

アノミー

 

 

※収録されている全曲を紹介するわけではありません。あくまで僕個人が厳選した数曲についてです。独断と偏見に基づいておりますが、あしからず…

 

 

~目次~

アノミー(歌詞・詩・考察)

・さくら(歌詞・紹介)

 

アノミー

愛など無い知らない 謎解けない吐きたい 雪溶けない吐けない

プラスチックの天の川が 汚染ゆえに遊泳禁止

アダムとイブが風俗ビルの 空き家に住むって現世の虚無

終電後の下りのホーム ハックルベリーがゲロの横で眠っている

 

アダムにとって知恵の樹の実とはイブの連れ子かパチンコ玉か

某都市の歓楽街でエデンはどこに? いたるところに

午前中に笑っていた家族の写真が 夕方のトップニュース

テレビを消して現実に戻る 横たわる死体に目を落とす

 

禁断の果実齧ったって 羞恥心は芽生えなかった

神を殺したのは私 神に殺されるのも私

 

愛って単純な物なんです なんて歌ってる馬鹿はどいつだ

アノミー アノミー

そんならそのあばずれな愛で 68億の罪も抱いてよ

アノミー アノミー

 

黙ってりゃ腐る身体をサーベルみたいにぶらさげ歩む命

あっちじゃ化物に見えたとか 向こうじゃ聖人に見えたとか

物を盗んではいけません あなたが盗まれないために

人を殺してはいけません あなたが殺されないために

 

禁断の果実齧ったって 追放なんてされなかった

神を許したのは私 神に許されたのも私

 

愛って特別なものなんです なんて歌ってる馬鹿はどいつだ

アノミー アノミー

そんならその尻軽な愛で 68億の罪も許してよ

アノミー アノミー

 

神様なんて信じない 教科書なんて信じない

歴史なんて燃えないゴミだ 道徳なんて便所の紙だ

全部嘘だ 全部嘘だ って言ってたら全部無くなった

愛する理由が無くなった

殺さない理由が無くなった

 

愛って複雑なものなんです なんて歌ってる馬鹿は私だ

アノミー アノミー

そんならこの神経過敏な愛で 救えた命はあったか

アノミー アノミー

救ってよ

 

amazarashi アノミー

 

YouTubeに公式MVがあります。

歌詞や楽曲と一緒にこのMVを見ると考察が捗ります。

 


amazarashi 『アノミー』

 

こんなブログなんか読まなくてもいいから、せめてこの曲だけ聴いてって!って言いたいくらい、この曲を初めて聴いたとき、僕は衝撃を受けました。

 

amazarashiの秋田ひろむ氏はそれぞれの楽曲に自作の詩を付けるのも魅力の1つです。歌詞以上に伝えたいことが凝縮されている時もあって、詩だけで心打たれることもあります。

 

一緒についてくる詩も考察の参考になりますので、アノミーについている詩も一緒に紹介します。

 

僕は自由を手に入れた

一仕事終えた後の一服の自由を手に入れた

朝露のビールを飲む自由を手に入れた

晴天の何処までも続く荒野で

東西南北、どこへでも歩き出す自由を手に入れた

むなしい歌を好きなだけ歌う自由を手に入れた

自分を殺す自由を手に入れた

咎める人は誰も居ない

阻む物は何もない

そんな自由を手に入れた

 

僕らは孤独をおもちゃのようにもてあそんで

さもそれが、与えられた免罪符かのように

自慢げに見せ付けるけれど

 

君の自由は誰かの自由ではないか

 

君の脳みそがインターネットではなく、

君の脳みそがワイドショーではなく、

君の脳みそが週刊誌ではなく、

家族や、友人や、恋人や、

君自身が愛するものであることを願う

 

amazarashi 詩

 

では、上記の歌詞・詩を参考にした考察を書いていきたいと思います。

 

まず、「アノミー」という言葉の意味を考えなければなりません。

 

これはフランスの社会学エミール・デュルケームが提唱した概念です。

 

著書『自殺論』は言うまでもなく社会学の名著として知られていますが、その中で主に取り上げられた概念のことです。

 

辞書的な意味では「あらゆる社会規範が希薄になり、制限なくなった社会状態」のことを指します。要は、無規制な社会のことです。

 

デュルケームは、こうしたアノミー状態に陥った社会で人は自殺を志向すると考えました。そしてそうした自殺を「アノミー的自殺」と呼んだのです。

 

デュルケームの考えはすべて統計に基づいています。いわゆる方法論的社会主義と言われるやつですね。

 

ですので、アノミー的自殺にもしっかりとした統計があります。

 

日本の例を挙げましょう。

 

日本においては、バブル崩壊期にサラリーマンの自殺がわずかな上昇を見せたそうです。これは単に経済的理由ということも考えられますが、バブル崩壊期という無規制な社会において、縋るものを見失ったが故の自殺と捉えることもできます。

 

いわゆるサルトルなどの言う「自由への責任」というやつですね。社会規範が無くなることは一見良いことのように思えるが、その実、自分を縛るものがなくなり自分自身を見失ってしまうこともあるということです。

 

話を本筋に戻しましょう。

 

この曲「アノミー」のサビでは、次のようなことが歌われています。

 

愛って単純なものなんです なんて歌ってる馬鹿はどいつだ

アノミー アノミー

そんならそのあばずれな愛で 68億の罪も抱いてよ

アノミー アノミー

 

愛って特別なものなんです なんて歌ってる馬鹿はどいつだ

アノミー アノミー

そんならその尻軽な愛で 68億の罪も許してよ

アノミー アノミー

 

この曲は「愛」の形を歌っている曲です。

 

ひとえに愛と言っても、「エロース的愛」もあれば、「フィリア的愛」もありますし、「アガペー的愛」もあります。

 

では、この曲で歌われている愛はどの愛なのか。

 

思うに、それは「アガペー的愛」です。

 

アガペー」とは言うまでもなく、キリスト教の神が与える無償の愛のことです。この曲はそうした無償の愛を愛の在り方として歌っていると思います。

 

現代社会においては、愛は飽和し切っています。

 

どういうことかと言いますと、愛がむやみやたらに歌われ、形骸化し、非常に希薄なものになってしまっているということです。

 

それは「あばずれな愛」で「尻軽な愛」です。

 

そして、そんな都合のいい愛があるんだったら「68億の罪」も救ってくれよと謳っています。

 

「68億の罪」とは、地球全体の人間のことでしょう。罪という言葉はキリスト教の言う原罪を指していると思われますので、やはりこの曲で歌われている愛はキリスト教的なアガペーのことと考えていいと思います。

 

アダムとイブが風俗ビルの 空き家に住むって現世の虚無

終電後の下りのホーム ハックルベリーがゲロの横で眠っている

 

アダムにとって知恵の木の実とはイブの連れ子かパチンコ玉か

某都市の歓楽街でエデンはどこに? いたるところに

 

アダムとイブは言うまでもなく、旧約聖書の記述です。

 

原典によれば2人が暮らしているのはまさに天国のような世界です。

 

しかし、現代社会においてはそうじゃない。

 

2人が暮らすのは「風俗ビルの空き家」

 

連れ子、パチンコ玉、風俗ビル、歓楽街…と不穏な言葉が並びます。

 

それはまさに「現世の虚無」を体現した生活です。

 

現代社会においては、それほどまでに愛が形骸化し、神の無償の愛も届かないほどだということを言いたいのだと思います。

 

なんで現代社会が? 思われることでしょう。

 

確かに現代社会には目に見えるほど顕在化した危機は存在しません。日本においては70年以上戦争もありませんし、誰もが心の底では平和が無期限に続くと信じていることでしょう。

 

はい、確かに危機は存在しません。

 

…でも、それが「アノミー」なんです。

社会規範が取り外され、自己を見失ってしまう社会。それが今の社会に最も近い状態です。

 

自己をしっかり持つことはとても重要なことです。そして、それには少なからず戦争も寄与してきました。

 

またまた日本の例を挙げましょう。

 

日本においては、戦時中、国のために生きることが美学とされました。そしてその美学、人間観に基づいて、多くの命が散っていったことも事実です。(デュルケームはこうした信念に基づく自殺を「他人本位的自殺」と呼んでいますが、それはここでは省きます)

 

このように、時には戦争という危機的状況さえも味方につけ、私たち人間は自己を見つめ直すことをそれだけ重要視してきました。(例)近代の実存主義など

 

顕在化した危機の無い現代社会。でもそこには確かに危機が存在しているのです。アノミー状態に陥っているのです。

 

そうした虚無的社会に生きる人間は、愛を無造作に謳います。

 

愛とはこういうものだ!

愛とはかくあるべきものだ!

 

などと根拠のない愛ばかりを挙げます。

 

ですが、そうした「あばずれ」で「尻軽」な愛は、本当に人々を救うのでしょうか?

 

それを心の支えにする人も確かにいるでしょう。でも、ちょっと考えてみれば、そんな愛の形など、希薄なもので信じるに値しないものだと気付くはずです。

 

物を盗んではいけません あなたが盗まれないために

人を殺してはいけません あなたが殺されないために

 

信じるに値しない愛ばかりが謳われるこの現代社会においては、道徳さえ不確実なものに成り下がっています。

 

自分が盗まれないようにするために、自分も盗まない。

自分が殺されないようにするために、自分も殺さない。

 

それは、本当に道徳ですか?

 

結果を重視したヘーゲルのような人たちだったら道徳と認めるかもしれませんが、結果よりも動機を重視したカントのような人たちからしたら、こんなの道徳ではありません。

 

アノミー状態に陥った現代社会においては、道徳すらも形骸化しているのです。

 

道徳なんて便所の紙だ

 

そう、そんな道徳なんて「便所の紙」に過ぎません。

 

便所の紙のように使い捨てで、都合よく謳われてしまっているのです。

 

愛って複雑なものなんです なんて歌ってる馬鹿は私だ

アノミー アノミー

そんならこの神経過敏な愛で 救えた命はあったか

アノミー アノミー

救ってよ

 

ですが、最後のサビで疑問を訴えています。

 

今まで現代社会の愛を散々に批判してきましたが、私が謳う愛だって確かなものではないと言っているのだと思います。

 

「単純な愛」「特別な愛」「複雑な愛」を歌ってきたのは、現代社会であると同時に、自分でもあったのです。

 

そして、自分自身に疑問を投げかけます。

 

そんな愛で救えた命はあったか? と…

 

愛という不確かな存在を歌うことを否定してきたが、自分だって同じように自分の思う愛を歌っていたのです。

 

だから、「救ってよ」と自ら言い放つのです。

 

神様なんて信じない

 

神に救いを求めておいて、もう「神様なんて信じない」と言うのです。

 

アガペーに救いを求めておいて、最終的には自分も、「救ってよ」と助けを求めるのです。

 

さくら

その時の僕らはといえば ビルの屋上で空を眺めているばかり

バイトを抜け出し汗と埃にまみれた 取り留めのない夢物語

互いに抱えてるはずのちゃちな不安は 決して口には出さない約束

中央線が高架橋の上でおもちゃみたいに カタカタなった

 

なぁ 結局僕らは正しかったのかな? あんなに意地になって

間違ってなんかいないって やれば出来るって

唇かみしめて夜に這いつくばって

その闇の中で言葉にならない嗚咽のような叫びは

千川通りで轢かれていたカラスの遺体みたお 痛い 痛い

 

ふざけんな ここで終わりになんかすんな

僕らの旅を「青春」なんて名付けて過去にすんな

遠ざかる足音に取り残された 悔し涙は絶対忘れないよ

踏みつけられたフライヤー拾い集める 代々木公園も気づけば春だった

苦笑いの僕ら 舞い落ちる

 

 

日当たりが悪くなるから 窓の外にある大きな木が嫌いだった

春になって花をつけるまで 僕はその木が嫌いだったんだ

今になってはどうでもいい話だけれど

なんかちょっとだけ後悔してるんだ

ほんとにどうでもいい話だったかな ごめんな

 

駅前のロータリー 夕焼けが悲しいわけを ずっと 考えていたんだ

終わるのが悲しいか それとも始まるのが悲しいか

街灯がそろそろと灯りだした

つまりは終わりも始まりも同じなんだ だったらこの涙に用はない

さっさと失せろ 胸がいてーよ いてーよ

 

一人の部屋に春一番の迷子 二人で選んだカーテンが揺れてます

どうせなら荷物と一緒にこの虚しさも 運び出してくれりゃ良かったのに

何もなかったように僕は努める 最後に君が干してった洗濯物

なんでもなく 張り付いた

 

 

過ぎ去った人と新しく出会う人 終わりと始まりで物語は進む

だとしたらそれに伴った悲しみさえ 生きていくうえでのルールだから

投げ捨ててきた涙拾い集めて 今年も気づけば春だった

僕は 歌う 歌う 歌う

 

さくら さくら 今でも さくら さく 消えない

さくら さくら 僕等の さくら さく 物語

 

amazarashi さくら

 

この曲はYouTube等に聴けるものがなかったので、歌詞と紹介だけです。

 

この曲は考察するまでもないと思ったので、考察は省いています。

 

この「さくら」のテーマは明確です。

 

考察とは言えませんが、軽く僕が思うことを書いておきたいと思います。

 

さくらを題材にした曲は星の数ほどあると思います。春になれば、テレビ番組で「春の曲と言えば?」などと、聞き飽きるほど特集されたりもします。

 

ですが、このamazarashiの「さくら」は他の桜ソングと一線を画すと思います。僕が「春の曲と言えば?」と聞かれたら、間違いなくこの曲を挙げます。

 

春とは出会いの季節です。新学期が始まる季節ですし、色々な出会いが訪れることでしょう。

 

…ですが、そのデメリット面を歌う曲はあまりないですよね?

 

誰かと出会いがあるということは、誰かとの別れがあるということです。

 

だからこの曲では、ちゃんと春の功罪両面を歌っています。

出会いがあるということは別れがあるということ。

 

春になって、どこかに旅立ったとき、一緒に悲しみも背負っていかなければならない。

 

そんなことを歌っている曲です。

 

春のいい面ばかりを歌う曲とはまた違って、amazarashiならではの良さが強く表れている曲だと思います。

 

今回はちょっと短い気もしますが、表題曲「アノミー」に対する考察を書けたので満足です。

 

しつこいですが、僕たちのゲーム『I AM』もよろしくお願いします!

 

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それでは、また逢う日まで…

 

(追記)

次回は未定です。

 

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