『京大生』のエロゲ備忘録

現役『京大生』がプレイし終わったエロゲの感想を淡々と紹介していくブログです。一部amazarashiと『論理哲学論考』の考察も含みます。一部の作品ではネタバレ全開で考察を書いています。アメブロでは成績公開をしていました。

『I AM』に対する原作者の考察(19823文字)【人工心象】【非18禁内容】【僕たちのサークル】【考察ゲー】

およそ3か月ぶりのブログ更新です。

 

今回は先日のC93にて僕たちが頒布したノベルゲーム『I AM』に関して書きたいと思います。『I AM』については、以下の紹介記事や、代表である僕のTwitterなどをご参照ください。

 

↓『I AM』に関する過去記事

ame-sara1126.hatenablog.jp

 

↓僕のTwitter

 

↓サークル公式サイト

jinkosinsho.web.fc2.com

 

 

1.はじめに

 

まずは、今回僕が筆を執った理由について述べましょう。

 

哲学系サウンドノベル『I AM』は、「考察ゲー」というジャンルをこよなく愛する僕が、自らの欲望のままに約12万字に渡る脚本を書き、完成させたノベルゲームです。C93で約45枚を頒布し、2018年2月現在、DL.site様にてダウンロード販売を行っています。

 

↓DL.site様へのリンク

www.dlsite.com

 

ありがたいことに、『I AM』をプレイしてくださる方が最近ちょこちょこ増えてきまして、プレイヤーの心象に足跡を残したいという思いでこのゲームを作った僕にとって、プレイヤーが何かしらのレスポンスを返してくださることは、この上なく嬉しいことです。

 

しかし、それと同時に1つの懸念が生まれました。

 

果たして『I AM』は、プレイヤーに考察をさせることができたのか…?

 

考察ゲーの最大の魅力は、プレイヤーが考察をすることができるという点にあると思います。また、その考察内容は、原作者の意図通りである必要性はなく、プレイヤーが自由に考察を行っていいものだとも考えています。

 

だがしかし、それでは解釈が不安定になりすぎてしまうのではないだろうか?

 

最近になって、僕はそう思うようになりました。

 

だからこうして今回、ブログという形で拙作『I AM』に関する考察記事を書こうと思い立ちました。というわけで、以下には、僕が『I AM』に込めたテーマなどを書き連ねたいと思います。

 

ここで2つ、大きな注意点があります。

 

1つは、当然ネタバレであるということです。

もう1つは、以下の解釈は決して確定の答えではないということです。

 

確かに僕は『I AM』の原作者であり、『I AM』の文章は全て僕が書いたものです。しかし、それをプレイしたユーザーが『I AM』にどう考察を行うかは、僕の裁量によるものではありません。要するに、以下に書く僕の解釈は、あくまで1つの解釈”例”に過ぎず、決して確定の解答ではないということです。この点さえ履き違えなければ、この記事が『I AM』の考察ゲーらしさを損なう恐れもないと考えております。

 

では、『I AM』のネタバレであることを考慮した上で、それでも読み進めるという方だけ以下にお進みください。

 

突然ですが、この記事は非常にニッチなものであると自覚しています。『I AM』という非常にマイナーなゲームをプレイし、かつ考察を行うほどの物好き(←失礼)な方たちにしか、おそらく楽しめないからです。この記事が非常に独善的であることは自覚しているつもりですが、ブログという最低限の秘匿性を有する媒体だからこそ、こうして筆を執りました。

 

それでは以下はネタバレです。

 

※ちなみに『I AM』はトゥルーエンドを見るとタイトル画面が変わります。クリア前はオレンジ色の夕焼けの背景なのですが、クリア後は丘から見た夕焼けの背景に変わります。変わっていないという方はトゥルーエンドを回収していないということなので、この先を読むことはせず、回れ右をすることをおすすめします。(1周目はバッドエンド確定で、2周目以降にトゥルールートに行く選択肢が出現する仕様になっています)

 

 

 

 

ここから先はネタバレです。

 

 

 

 

ここから先はネタバレです。

 

 

 

 

ここから先はネタバレです。

 

 

 

 

2.あらすじ

 

まずは物語の流れに沿って、あらすじを説明していきます。

 

2-1 何気ない日常(第一章)

 

主人公は高校2年生の伏見誠(ふしみ・まこと)です。

 

彼は人との関りを嫌い、孤高を理想の生き方としています。文芸部に所属しており、閑静な部室を数少ない憩いの場としています。

 

しかし、そんな彼の生活に変化が訪れます。

 

それが、新入部員の網野凛(あみの・りん)園部優美(そのべ・ゆうみ、生徒会役員の宇多野瑠偉(うたの・るい)の登場です。

 

※ちなみに、この4人の名字は全て京都府内に実在する駅名から採っています。僕の敬愛するゲーム『さよならを教えて』のヒロインたちの名字が山手線の駅名だったことから、援用させていただきました(←オイ)

 

※またまたちなみに、彼女たちの名前は僕の大好きなゲームの1つである『サクラノ詩』のヒロインたちから採りました。「誠」は「鳥谷真琴」から、「凛」は「御桜稟」から、「優美」は「川内野優美」から採りました。唯一、「瑠偉」だけは僕が自分で考えました(←オイ)

 

↓左から、園部優美・網野凛・宇多野瑠偉

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凛と優美が入部する前まで、文芸部の部員は誠だけでした(幽霊部員なら他にもいるという設定ですが…)

 

誠に責任はないものの、部費を不正に受給していたという理由で、文芸部は、生徒会役員の瑠偉から、半年間の活動停止を言い渡されます。

 

しかし瑠偉は機転を利かせ、活動停止処分を取り下げるのと交換で、新入部員の凛と優美の監督を誠に命じます。

 

不正に受給していた高額の部費を誠が払えるわけもなく、仕方なく誠はそれを了承します。

 

こうして誠が凛と優美の面倒を見ることになり、その監視役として、瑠偉もたびたび文芸部に出入りするようになりました。

 

この4人を描いたのが『I AM』の本編です。

 

誠たちは好きな本の話などをして、次第に仲を深めていきましたが、誠は完全に凛たちに心を開いてはいません。

 

誠は孤高を信奉しており、孤高を愛しており、孤高に憧れています。

 

したがって誠が凛たちに心を開くことはそう簡単なことではありません。

 

ある日、凛と優美の提案により、詩集を作ることになりました。

 

詩集といっても、英詩を翻訳して自分なりのコメントを添えるだけの簡易なものです。

 

そこで誠が選んだのがジョン・クレアの『I am』でした。

 

I am: yet what I am none cares or knows,

(私は生きている。だが、私が在ることを誰も構ってくれない)
My friends forsake me like a memory lost;

(記憶を失ったかのように、友人たちは私を見捨てる)
I am the self-consumer of my woes,
(私は自らの悲しみで自らを擦り減らしている人間だ)
They rise and vanish in oblivious host,

(悲しみは立ち現れては忘却の群れの中へと消えていく)
Like shades in love and death`s oblivion lost;
(忘れ去った、愛する者や死んだ者の影たちのように消えていく)
And yet I am, and live with shadows tost
(だが私はまだ生きている。放り捨てた影たちと共に在る)

 

Into the nothingness of scorn and noise,
(嘲笑と罵りのない世界の中へと)
Into the living sea of waking dreams,
(白昼夢に出てくる生きている海の中へと入り行く)
Where there is neither sense of life nor joys,
(そこには生きている徴も楽しんでいる徴も存在しない)
But the vast shipwreck of my life`s esteems;
(我が生涯の難破した姿が、茫然として在るだけ)
And e`en the dearest ―that I loved the best―
(そこでは最も親愛なる人―私が心から愛した人―さえもが)
 Are strange ―nay, rather stranger than the rest.
(よそよそしい―いやむしろ他人よりよそよそしい)

 

I long for scenes where man has never trod,
(私を男が未だ誰も踏み入れたことのない場所へ行かせてくれ)
A place where woman never smiled or wept;
(そこには女の微笑みも涙もない)
There to abide with my Creator, God,
(尚その上に、我が創造主たる神と共に住まわせてくれ)
And sleep as I in childhood sweetly slept;
(そしてそこで子供の時のように安らかに眠らせてくれ)
Untroubling and untroubled where I lie,
(誰にも迷惑をかけず、かけられず、そんな場所で横になる)
The grass below ―about the vaulted sky.
(褥には草を―頭上には蒼穹を)

 

ジョン・クレア『I am』

 

ジョン・クレアのこの詩こそが本作『I AM』における最大のポイントです。

 

僕はこの詩からインスピレーションを受け、『I AM』の脚本を書きました。

 

そういう意味では、この『I AM』は僕自身の物語であり、伏見誠とは他ならぬ僕自身であるともいえます。

 

※ちなみに上記の詩の日本語訳は僕個人が訳したものです。本編で語られていますが、この訳は正確に言うと間違っています。ですが、僕が初めてこの詩を読んだときに作った日本語訳こそ上記の訳であり、そこに『I AM』のテーマがあります。詳しくは後述します。

 

ところで、ジョン・クレアのこの詩はいったいどういう趣旨の詩でしょうか。

 

誠は、この詩は孤高を謳った詩だと思っています。

 

精神を病み、友人にも愛する人にも見捨てられたクレアが、孤高を尊び、ただ神とだけ暮らして残りの人生を生きていくということを書いた詩だと思っています。

 

誠はこの詩が大好きであり、クレアのような孤高の生き方を理想視しています。

 

そして誠はこの詩を選び、詩集をしたためました。

 

作中では記載していませんが、ここまでが第一章です。

 

第一章では、宮沢賢治やらエマーソンやら和辻哲郎やらクレアやら、様々な哲学者・文学者を引用しましたが、その詳しい意図については後述します。

 

2-2 琴美のいじめ問題(第二章)

 

第二章は、新キャラ、真伏琴美(まぶし・ことみ)の登場から始まります。

 

↓中央にいるのが真伏琴美

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琴美はいじめられています。

 

いじめられるようになった契機はささいなことです。

 

設定上は単なる暇つぶしのためだという理由にしていますが、これは、そもそも実際のいじめのきっかけなんてささいなことに過ぎないという僕個人の見解によるものです。

 

第二章は、琴美のいじめ問題を解決することが主題です。

 

そのため第二章は、琴美の過去編がほとんどを占めます。

 

琴美は1年生の時からいじめられ始め、2年生となった現在もいじめられています。つい先日には、かわいがっていた公園の子猫まで殺されてしまい、琴美はついに生きる希望を見失ってしまいました。

 

生きていたって楽しいことなんて何にもない。

だから私は一人でいることを選ぶ。孤独を選ぶ。

 

琴美はそう結論付け、誠たちに語りました。

 

しかし、誠はそれに反駁しました。

 

琴美は、孤高を単なる「逃げ場」と見なしていたからです。

 

誠にとっての孤高は決して逃げ場ではありません。誠は好きで一人でいることを選びました。好きで孤高を選びました。そこに逃げという選択の意志は介在しません。

 

しかし琴美は、単に人と関わることで自分が傷つくのが嫌だからという理由で、孤高を選ぼうとしました。

 

誠はそこに怒りを示し、琴美を説得します。

 

誠がそこで引用したのがウィトゲンシュタインの幸福論です。

 

僕個人の見解ですが、ウィトゲンシュタインの幸福論は非常に楽観的な幸福論だと思います。ものすごく簡単にいえば、幸福であることの条件を内面的なもののみに求め、それ以外に条件を必要としないからです。

 

ウィトゲンシュタイン曰く、幸福であるということは生きる意志に満たされているということです。逆を言えば、生きる意志に満たされてさえいれば、その生は無条件に幸福なのです。

 

誠はこうしたウィトゲンシュタインの幸福論を引用して琴美を説得します。

 

琴美がどう思おうが琴美の勝手だが、孤高を逃げ場にするのは許さない。そもそも琴美が自分は幸せであると思うことができさえすれば、琴美の生は無条件に幸福なものとなる。であるならば、自らで自らの生を貶めてはならない。

 

誠はそう言って琴美を説得しました。その結果、琴美は納得し、転校という手段を選びました。転校という解決方法は決して褒められたものではありませんが、琴美は自らの意志であくまで前向きに転校を選びました。

 

この点で、琴美の選択は決して逃げではありません。

 

こうして琴美のいじめ問題は解決を迎えました。ここまでが第二章です。

 

2-3 『I am』の再解釈(第三章)

 

 物語は、ここから大きく動き始めます。

 

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この手紙が第三章のキーアイテムとなっています。

 

第一章で誠が書いたジョン・クレアの『I am』に対する解釈が間違っているという指摘を行っているこの手紙。本編をプレイした人ならお分かりだと思いますが、この手紙の差出人はもちろん琴美です。

 

琴美が転校する間際、掲示板に貼られていた詩集を目にして、誠の解釈のミスに気付いたのです。そしてそれを伝えるために文芸部宛てに手紙を出しました。

 

琴美はどうして手紙に自分の名前を書かずに名無しで出したのか。実のところ、明確な理由は設定していないのですが、僕個人としては、誠本人に自主的に取り組んでほしいという琴美の意思があったからだと解釈しています。

 

誠は、自分の解釈にミスはないと思いつつも、瑠偉の命令で仕方なく協力して解釈のミスを探すことにしました。

 

4人は、英和辞書を見ながら『I am』をより深く解読していきます。

 

この過程が第三章の全容です。

 

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誠たちは、上記の計15個の英単語を調べました。

 

※この英単語調べのシーンは賛否両論あると思います。衒学的とも取られがちですし、全然ゲームらしくないと我ながら思います。しかしどうしても後の展開に必要であったため、泣く泣くこのような小難しい展開を入れさせていただきました…(´・ω・`)

 

15個もの英単語を調べ終えた誠たちですが、結局、誠の解釈のミスが分かるような決定的な手掛かりは見つかりませんでした。

 

2-4 真実への気付き(第四章)

 

英和辞書がダメなら今度は図書館に行ってクレアについて調べてみようと瑠偉が提案したのですが、その夜、誠は唐突に””を見ます。

 

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上記の3枚が誠が見た夢に出てきた文字列です。

 

お察しの通り、これは『I am』の全文です。

 

ただし、3か所だけ空白になっています。

 

その空白に入る部分こそ、誠の解釈のミスそのものであり、誠が過去に目を逸らした箇所(詳しくは後述)だったのです。

 

そして、誠は自らの解釈のミスに気付くとともに、この世界の仕組みに気付きました。

 

この世界は現実ではなかった。自分がこれまで暮らしてきたこの世界は、現実の世界ではなかった。

 

誠は真実に気づき、全てを悟り、屋上に向かいます。

 

ここからが第四章が始まります。

 

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屋上には凛がいました。

 

そして誠と凛は対話をします。

 

2人の会話は意味不明に聞こえるかもしれません。

 

ですが、中には2人が話している内容が分かった人もいると思っています。

 

この『I AM』は考察ゲーです。考察ゲーということは、考察するために必要な材料は十分に提供されているということです。すなわち、この誠と凛の対話を理解するために必要な材料は、第三章までに散りばめられているということです。

 

当初の僕は、原作者である僕自らが解説しなくとも、聡明なプレイヤーの方々なら気づいてくれるだろうと思っていました。しかし、今になって不安が増してしまい、やはり僕なりの答えをこうして書き記すことにしました。

 

屋上のシーンにて、誠と凛が何を話していたのか。何について語っていたのか。2人の対話は何を意味するのか。

 

これがこの『I AM』最大の謎と言えると思います。

 

その答え(あくまで解釈の一例にすぎませんが)については、後述します。

 

そして誠は凛たちと「さよなら」をし、学校の外に出ます。外に出て歩き続け、気が付くと目の前には夕焼けが広がっていました。

 

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丘から見える夕焼けを眺め、誠の世界は終わりを告げます。

 

次に誠が目覚めたとき、そこは高校ではなく大学でした。

 

誠はいつも通り大学に向かいます。そこにはサークル勧誘の旗が立っていました。そして誠は、「文芸サークル」と書かれた旗に向かって歩を進めました。

 

これにて『I AM』の本編は終了します。

 

プレイした方々、いかがだったでしょうか。

 

我ながら意味わかんない終わり方だったと思います。実際、他のメンバーには反対されました。しかし僕としては、この終わり方が最善でしたし、何より僕はこの終わり方が好きです。だから誰が何と言おうと、『I AM』はこの終わり方で良かったと思っています(傲慢)

 

以上が『I AM』の大まかなあらすじです。

 

ここからはより深く踏み込んで書きたいと思います。

 

誠の身に何が起こっていたのか。凛たちはどんな存在だったのか。琴美とは一体何だったのか。『I am』とは何を表していたのか。

 

そういったより深いテーマについて、ここからは書きたいと思います。

 

何度も言いますが、これはあくまで僕の解釈”例”です。決して確定の答えではないので、プレイヤーの皆様が感じたことと異なるかもしれません。…いや、多分異なるでしょう。ですが、僕はそれをむしろ歓迎いたします。僕が求めたのはまさにそういう現象であり、それこそが考察ゲーの醍醐味なのですから!

 

では、続いて参りましょう。

 

3.大ネタ解説 

 

結論から申しますと、『I AM』の世界は全て誠の夢世界です。凛も優美も瑠偉も、全て誠の妄想であり、誠が生み出した存在です。

 

※誠がどうやって夢の世界に入ることが出来たのかは皆様の考察の自由です。僕個人としては、自由に夢が見れる機械という設定を用意していましたが、「さよならを教えて」のように、あくまで誠の精神的な作用によるものだと考えることもできると思います。

 

※以下に書く誠の過去については、あくまで設定上の話です。『I AM』の本編では描いていないことも含まれていますので、誠の過去については皆様が自由に想像なさってください。当然それは僕の監督の及ぶところではありません。

 

誠は今でこそ人と関わることを嫌っていますが、最初は(小・中学生時代まで?)むしろ人と積極的に関わろうとしていました。

 

しかし、誠はふとしたことからいじめられるようになりました。

 

※どういう経緯でいじめられ、どういういじめを受けたかは琴美を想像してください。詳しくは後述しますが、そもそも琴美は誠そのもの(誠の分身)なのです。

 

いじめられたことで人を信用しなくなった誠は、人との関りを嫌うようになり、『I AM』本編で描いたような人を嫌う孤高な性格に変わりました。

 

そのひねくれた性格のまま高校生活を無為に過ごした誠は、大学生になってもそのまま孤高を保ちながら生き続けます。

 

しかし、誠も心の底では孤独の寂しさを感じていました。

 

自分が高校時代に孤高を貫いたのは単なる虚勢であり、いじめられるのが(傷つくのが)怖かったから、人を避けただけに過ぎなかったと自覚していました。

 

そして誠は大学生になってから後悔します。

 

どうして素直にならなかったのか。どうして傷つくことを恐れて他人を避けてしまったのか。自分から歩み寄ろうとしなかったのか。

 

誠はそう後悔しながら、大学生活を過ごしていました。

 

しかしある日、夢の世界に入り込みました。

 

※前述の通り、どうして誠が夢の世界に入ったのかは皆様の想像の自由です。自由に夢を見れる機械(パトナムの「水槽の脳」の話や、ノージックの「経験の機械」を思い描いてくださると幸いです)を手に入れたと解釈していただいても結構ですし、誠が精神を病んで夢の世界に入ったと考えていただいても結構です。

 

夢の世界は誠の理想が実現した世界です。凛も優美も誠の理想を実現するために存在しています(勘の鋭い方ならもうお気づきでしょうが、これは「さよならを教えて」に影響を受けています…パクリとは言わないで…ちゃんとオリジナリティあるし…)

 

では順番に各ヒロインの役割を説明していきましょう。

 

3ー1 各ヒロインの役割

 

網野凛。彼女は「自己実現・自己肯定」のための存在です(「さよならを教えて」で例えるなら「巣鴨睦月」的存在)

 

凛は常に誠に優しい存在です。誠が空気を読まない発言をしたり、凛たちを顧みない発言をしても、凛は誠をフォローしてくれたはずです。誠は今まで自分と真摯に向き合ってくれる人がいませんでした。それも当然です。誠自らが人を避けていたのですから。しかし本心では自分を肯定してくれる存在を欲していました。その願望が夢の世界に顕現した存在こそが凛だったのです。

 

続いて園部優美。彼女は誠の「嗜虐心・支配欲」を満たすための存在です(「さよならを教えて」で例えるなら「田町まひる」的存在)

 

優美は誠にとっていつもいつでも見下すことのできる存在です。見下すと言うと語弊があるかもしれません。正確に言うと誠の支配欲を満たすことのできる存在です。優美は誠より年下で、しかも誠より勉強もできません。誠が自分の知識をひけらかすのにうってつけの存在です。誠は常に優美にマウントを取ることで、精神的に優越感を抱いていました。誠は小中高時代、他者から必要とされない生活を送ってきました。しかし本心では自分を認めてほしい、自分が優越できる存在が欲しいと思っていました。その願望が夢の世界に現れた存在こそが優美だったのです。

 

お次は宇多野瑠偉。彼女は誠の「良心・理性」を象徴する存在です(「さよならを教えて」で例えるなら「上野こより」的存在)

 

瑠偉は常に誠に厳しい存在です。誠が孤高を選ぼうとすると、そんな生き方は寂しくなるだけだと否定してきます。誠はそれを口うるさいと感じていましたが、これこそ誠に働いた良心・理性だったのです。誠は口では孤高を尊重していると言っていますが、本心では(自分でも気づかないくらい無意識にですが)人と関わりたいと思っています。しかし誠は素直になれず、自分の本当の欲求から目を背けてしまっています。それをたしなめるために夢の世界に顕現した存在こそが瑠偉だったのです。

 

最後に真伏琴美。彼女はヒロインの中でも最も特異的な存在です。言うなれば「誠自身」であり、「誠の分身」です。

 

琴美は過去の誠を表した存在です。琴美が受けたいじめはすべて誠が受けたものです(唯一ピンクローターを机に入れられたいじめについてだけは、誠本人の体験とは異なります。誠はローターではなく、コンドームを入れられたという設定です)。そもそも「まぶしことみ」という名前は「ふしみまこと」という文字列を並び替えて作りました。このことからも分かるように、琴美は誠そのものなのです。繰り返し言いますが、琴美は誠そのものです。琴美がいじめられた結果、人を拒絶するような生き方を選んだのも、過去の誠がそうしたからです。

 

しかしただ1つだけ、琴美と誠で違うところがあります。

 

それは、いじめられた後にどのような生き方を選んだかという点です。

 

琴美は、最初こそ他人を拒絶しかけましたが、ウィトゲンシュタインの幸福論の話を聞いて生きる意志に彩られた幸福な生を生きようと思い直しました。しかし、過去の誠はそうすることができませんでした。というのも、過去の誠はそうする勇気がなかったのです。生きる意志さえあれば幸福な生だという考えは確かに明快で分かりやすいですが、その分、生きる意志を常に持ち続けなければならないという点で過酷な面もあります。誠はその勇気が持てなかったのです。だから誠は孤独を選んでしまいました。その結果、高校時代も無為に過ごし、大学生になっても孤独を感じています。その後悔を表すために夢の世界に顕現した存在こそが琴美だったのです。

 

誠はウィトゲンシュタインの幸福論を持ち出して琴美を説得することに成功しました。しかし、それは過去に誠が失敗したことでもあったのです。要するに、琴美に向けた説得・弁論はすべて、過去の誠に向けられたものだったのです。

 

この4人のヒロインの背負わされた役割さえ理解できれば、『I AM』の6割は理解できたと言っていいでしょう。…ですが、僕の実力不足のせいで、おそらくここまでたどり着けた方はごく少数だと思われます…(一応4人の役割を示すために、弁証法の概念を持ち出して、誠に説明させたのですが…)

 

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上記のこの文章だけを読んで4人の役割を理解することができた方がいるとしたら、その方はものすごい観察眼と集中力のある聡明な方なのでしょう…←

 

3-2 役割を超越し始める

 

瑠偉という邪魔者はいるけれども、夢の中で理想の世界を実現することができていた誠でしたが、役目を背負わされただけに過ぎないはずの凛たちの存在に亀裂が走ります。

 

まず最も顕著なのが、凛と優美が好きな本の話をしたシーンです。

 

凛も優美も宮沢賢治の話を挙げました(凛は「注文の多い料理店」を、優美は「銀河鉄道の夜」を挙げた)

 

これは僕の私見なのですが、宮沢賢治の作品はどれも滅私的な要素が強いと思います。要するに、「宮沢賢治=滅私・奉仕」という印象が僕にはあります(まぁ、だからこそ児童文学として教科書にも掲載されているのでしょうが…)

 

上述の凛と優美に課せられた役割に従うのであれば、凛や優美が宮沢賢治の話を挙げるはずがありません。なぜなら、誠が嫌うはずの滅私の話を、誠にとって安心することのできる存在であるはずの凛や優美が持ち出すはずがないからです。

 

しかし、実際には凛と優美は宮沢賢治を挙げました。

 

これがどうしてなのか。それはもちろん皆様の考察の自由ではあるのですが、僕個人の見解を述べさせていただくと、凛と優美が自我を持ち始めたからだと解釈しています。

 

凛も優美も誠に気付いてほしかったのです。孤独は寂しいものだと。本当は誠本人も孤独など望んではいないということに気付いてほしかったのです。だから凛と優美は宮沢賢治を挙げたのです。そうすることで誠に滅私精神を抱いてほしかったのです。そうすれば誠が再び人と関わる未来が築けると思ったのです(…まぁ、実際には誠は彼女たちの真意に気付かなかったようですが…)

 

ここではこれ以上役目を超えた凛たちについては語りませんが、実は他にも凛たちが自らに課せられた役目を超えて誠を導こうとしているシーン(=伏線)はいくつかあります。もしよろしければ探してみてください。どこか分かったという方がいれば、僕に教えてくださると幸いです。もちろん確定の答えなど存在しませんし、プレイヤーの皆様がどう思ったかは個人の自由だということは申し上げておきます。

 

3-3 荘子胡蝶の夢』の意図

 

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冒頭に登場するこの漢詩胡蝶の夢』はどういう意図で引用されたのかと言いますと、それは誠の夢世界を肯定するためです。

 

胡蝶の夢』は、本質的に夢と現実は区別できないということを述べている漢詩です。

 

そのため、『I AM』の世界はすべて誠の夢であるということを肯定するために、冒頭に引用させていただきました。

 

※結構分かりやすい引用だとは思ったのですが、とあるライターさんには『胡蝶の夢』を見られただけで、『I AM』の世界が夢世界だということに気付かれてしまいました…(まぁ、本作の本質はそこではないので特に問題はないのですが)

 

3-4 クレア『I am』の本意

 

本作において最も重要なファクターとなっているのがジョン・クレアの英詩『I am』です。前述の通り、誠はこの詩を孤高を謳った詩だと思っていました。しかしそれは誠の違いだったのです。

 

※実は僕自身も最初にクレアのこの詩を読んだときは孤高を賛美した詩だと思いました。しかし何度も読み直すにつれて、実はまったく正反対のことを謳った詩なんじゃないか思い直した次第です。

 

本編をプレイした方ならもうお分かりの通り、クレアの孤高はただの虚勢でした。『I am』は、精神を病んで友人にも恋人にも見捨てられ、もう神しか縋る事の出来なくなった寂しい青年クレアが病床で一人、孤独の寂しさを謳った詩でした。

 

誠は第三章で英単語を調べていくにつれ、それに気付きました。調べた直後は自分の解釈のミスに気付かなかったのですが、一晩経ったことで、自分の無意識に夢となって答えが現れたという解釈が僕個人の見解です(もちろんプレイヤー個人の想像の自由でもあります)

 

本作『I AM』は、言うなれば、英詩『I am』の本意に誠が気付くまでの物語です。

 

孤高の詩だと思っていた『I am』が実は孤独の寂しさを謳った詩だと知った今、誠は新たに何を思うのか。それを描きたくて僕はこの作品を書きました。

 

※ちなみにどうしてタイトルが『I AM』なのかというと、それには二重の意味があります。1つは表面的な理由で、このゲームが孤独っぽい雰囲気を醸し出しているゲームだと示すためです。しかしより本質的な理由はもう1つの方です。それは、タイトルで既に結末を描いているからという理由です。前述の通り、『I am』は孤高を謳った詩のように見えて、その実、孤独を否定した詩です。要するに、クリア前は孤高を表していると思っていたタイトルが、実は初めから孤独を否定していたということです。つまり、クリア後に見れば、最初から誠が最終的には孤独を否定することになるという結末が示されていたことに気付くという構造になっていたのです。

 

4.伏線回収

 

以上が『I AM』のネタばらし的なお話です。

 

ここからは実際にどのように伏線が散りばめられていたか書いていきたいと思います。

 

※すべての伏線を説明するわけではありません。一部の明白な伏線だけ挙げていきます。もちろん原作者の僕も気づかない伏線があるかもしれませんので、プレイヤーの皆様の解釈は自由でございます。

 

※「ここも伏線じゃないの?」「あそこはどういう意味だったの?」などという質問・意見があれば大歓迎ですので、僕のTwitterアカウントにでもDMを送るなりしてくださいませ。

 

4-1 第一章まで

 

4-1-1 冒頭の登校シーン

 

 荘子の『胡蝶の夢』を引用しながら誠が登校するシーン。

 

実はこのとき、誠は高校に向かっているのではありません。

実はこのとき、誠は大学に向かっていたのです。

 

※それを裏付ける根拠として、誠はこのとき「高校に向かう」とは言わずに「学校に向かう」と言っています。他のシーンではすべて「高校」と言っているにもかかわらず、この時だけ「学校」と言っていたのです(こじつけだよなぁ)

 

だから背景が通学路ではなく、真っ暗だったのです。

 

背景が真っ暗から通学路に変わったその瞬間から、誠は夢世界に入った…というのが僕個人が思い描いた設定です(くどいようですが、もちろん皆様の想像の自由です)

 

4-1-2 数学の授業

 

誠は数学の授業で微分積分を習いますが、このとき誠は「数学は哲学という話を聞いたことがある」と言っています。

 

誠はその話をいつどこで聞いたのでしょうか? 大学の数学はよく哲学だと言われますよね? …ですから、実はこの時点で誠が本当は大学生であることを示唆しているというのが僕の意図だったのですが、もちろんこんな伏線誰も気付くはずはずないですね…(というか大した意味もないな)

 

4-1-3 サヴィジ・ランダー

 

誠は凛にサヴィジ・ランダーの英詩について語りました。ランダーは非常に狷介であり、その英詩も孤独を象徴した暗い詩です。普通であれば、そんな暗い詩をほぼ初対面の女子にしたら、おそらく引かれるでしょう。

 

しかし凛は引かず、むしろ誠を肯定してくれました。

 

これは前述の通り、凛が誠の「自己実現・自己肯定」のための存在であるからであり、凛の優しさを示した伏線であると言えます。

 

4-1-4 エマーソン

 

誠が部室でエマーソンを読んでいたところ、瑠偉が部室に入ってきました。

 

エマーソンは個人主義を唱えた思想家であり、誠はその考えに共感を抱いていましたが、瑠偉はエマーソンの考えを暗いと一蹴し、誠の孤高を否定しました。

 

これは瑠偉が誠の「良心・理性」を象徴した存在であることに対する伏線であり、瑠偉が常に誠に厳しいことを表すためのシーンであるともいえます。

 

4-1-5 英単語のテスト

 

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英単語のテストを受けているシーンでは、選択肢を用意しました。でもどうしてここで英単語の選択肢なんて入れたのか。それは、この世界が誠の夢世界であることを示唆するためです。

 

実はこの英単語テストに出てくる英単語はすべて、前述のサヴィジ・ランダーの英詩に出てくる英単語です。要するに、どの英単語も誠が知っているものだということです(だから誠は英単語に見覚えがあった)

 

この世界が誠の夢世界であるから、英単語のテストに出てくる単語も誠が知っているものでしかありえず、その直前に出てきたランダーの英詩に含まれる英単語が無意識に印象に強く残っていたということです。

 

4-1-6 和辻哲郎

 

 誠が昼休みに部室に向かうといつのまにか和辻哲郎の著書が置いてあったシーン。

 

本編でも書きましたが、和辻哲郎は「間柄的存在」としての人間の在り方を唱えた哲学者です(それと同時に我が京都大学の京都学派のメンバーでもあります)

 

正確に言えば「間柄的存在」は個人主義でも集団主義でもない中間的な考えなのですが、どちらかといえば集団主義に近い考えです。

 

要するに、部室に和辻哲郎の本が置いてあったのは、誠に人と関わる生き方を模索してほしいという「良心・理性」が働いたからであり、誠の自浄作用ともいえます。

 

4-2 第三章まで

 

4-2-1 誠の世界暗転

 

誠が琴美を説得し、琴美が生きる意志を取り戻したシーン。

 

琴美のお別れ会に参加しないかと凛から誘いを受けた誠ですが、ここで選択肢が出現したはずです(1周目は「誘いを断る」の選択肢しか出現せず、強制的にバッドエンドとなります)

 

「誘いを断る」の選択肢を選ぶとバッドエンドに突入するわけですが、このとき誠は猛烈な頭痛と吐き気を感じ、最終的には意識を失っています。

 

「--俺の”世界”は、そのまま暗転した」

 

どうしてここで誠が意識を失ったかについては、プレイヤーの皆様の考察の自由であります。けれども、敢えて原作者の僕個人の解釈を挙げるのであれば、誠の夢世界が維持できなくなったからだと考えています。

 

前述の通り、誠の夢世界は誠の理想を体現した世界ではありますが、「良心・理性」の役目を持った瑠偉の作用や、役目を超えた凛と優美の作用など、誠を正しい方向へと導こうとする自浄作用も働いています。要するに、誠の夢世界はある程度不安定なものであるということです。そのため、「琴美のお別れ会に参加しない=再び孤独を選ぶ」という帰結を意味することから、誠の自浄作用が最大化し、夢世界を崩壊させるほどまでに増大したと考えています。

 

和辻哲郎の本を見た時に感じた頭痛や、琴美のいじめに直面した時に感じた頭痛も同じ理由によるものだと考えています。要するに、誠の自浄作用なのです。

 

4-2-2 英語の授業

 

琴美の手紙で『I am』の解釈ミスを指摘された誠が英語の授業を受けるシーン。

 

手紙について思いを馳せていた間、英語の先生が興味深い話をしていました。

 

それは、英単語には使い分けが明確に存在するということでした。

 

これは言わずもがな、後々発覚することとなる”forsake”と”strange”と”look for”に関するミスを示唆するために設置した伏線です。

 

誠に解釈ミスを気付かせるために、英語の授業という形で、ヒントが提示されたわけです。

 

4-2-3 英単語調べ

 

英単語を調べているシーン。

 

ある特定の英単語を調べるときだけ凛が気まずそうになるということに、プレイヤーの皆様は気付いていただけたでしょうか?(”forsake”と”strange”と”look for”を調べるときだけ、凛は自分では調べようとせず、優美に調べさせている)

 

本編でも誠が語っていましたが、これは、凛が誠に解釈ミスを気付かせたくなかったからです(あくまで僕の解釈ですので、プレイヤーの皆様の考察の自由ではあります)

 

前述の通り、凛は誠にとって安心することができる存在です。そのため、誠の夢世界を維持させようと努めるべき存在です。そんな凛が、誠に孤独を否定させることにつながるようなこと(=『I am』の解釈ミスを発見させること)をさせるわけがありません。だから凛はこれらの英単語を調べたくなかったのです。

 

※このとき凛の本心がどうだったかは原作者の僕にも分かりません。本心では誠に孤独を否定させたかったのかもしれませんが、少なくともこの時実際に凛が取った行動は、誠に孤独を選ばせる方の選択でした。

 

4-3 第四章まで

 

第四章(誠が真実に気づき、屋上で凛と対話する場面)については、正直伏線を大量に散りばめています。凛との会話内容もそうですし、誠の独白部分にもそれらがたくさん隠されています。

 

…ですが、ここで敢えてすべてを説明するということはしません。ここまで書いてきたことを読んでいただき、『I AM』の文章をもう一度読み直していただければ、十分に推測・考察ができると思われるからです。

 

凛との対話はどういう意味だったのかなどといった問いを知りたい方がいらっしゃるのであれば、凛たちに課せられた役目と誠の夢世界の構造の話を頭に入れつつ、もう一度読み直してください。

 

※もちろん直接僕に問い合わせていただいても結構です。何度も言うようですが、もちろん確定の答えなど存在しないので、私はこう考えるといった風に、プレイヤーの皆様の考えをお聞かせいただくだけでも結構です(というかむしろ大歓迎)

 

 5.抽象的テーマ

 

ここまで物語的な説明ばかりを書いてきましたが、ここからはより抽象的なテーマ的な説明を書いていきたいと思います。

 

考察ゲーはむしろこうしたテーマ的な種明かしの方が根幹を占めると僕は考えていますので、そういう意味では、むしろここからが本番と言えるでしょう。

 

では、しばしお付き合いください。

 

※『I AM』をプレイしてどのようなテーマを抱いたかということは、もちろんプレイヤー様の自由でございます。以下に書くことはあくまでも原作者の僕個人が込めたテーマに過ぎませんので、プレイヤー様の解釈を固定させる意図は全くありません。

 

5-1 認識論の再確認

 

胡蝶の夢』に代表されるように、認識というのは不確実なものです。

 

現実と夢を隔てるものは本質的には存在しません。『胡蝶の夢』が言っていることはまったくもって正しいです。客観的に思える認識も、主観という枠から逃れられないことは必然であり、同様に世界の境界すら曖昧です。

 

知識論よりに議論を展開させ、より踏み込んで言うと、「ゲティア問題」に帰着するのですが、正直そこまで考えなくとも、この程度のこと誰でも一度は考えることなので、さほど重要なテーマではないと考えています。「ゲティア問題」については、改めてここで語るような話ではないと思いますので、各自で調べていただけると幸いです。正直、これはそこまで重要なテーマではないので、認識の不確実性を再確認したという以上の意味はありません。

 

ひとつ勘違いしないでいただきたいことがあります。

 

僕は「同一説」を肯定しているわけではありません。同一説とは「心脳同一説」とも呼ばれる考え方で、心の状態は脳の状態と一致するとする考え方のことです(細かくは「タイプ同一説」と「トークン同一説」に分かれますが、ここではどちらも大差ないので説明は省きます)

 

夢と現実は本質的には区別できないとする見方は、ある意味では同一説とも捉えることが出来ます。すなわち、『I AM』は一見すると同一説を肯定したゲームともいえます。…しかし、僕にそうした意図はまったくありません(もちろんプレイヤーの皆様がどう思ったかは自由ですが)

 

同一説が正しいか正しくないかという問いは正直言って「どうでもいい」です。というのも、そもそも同一説の議論はウィトゲンシュタインの言う「語り得ぬもの」に含まれると思われるからです。

 

ここでイギリスの哲学者クリプキによる同一説に対する批判を挙げましょう。

 

クリプキは「固定指示子」という概念を導入して同一説を批判しました。固定指示子とはいわゆる固有名詞のことであり、あらゆる「可能世界」において一義的に定まる表現を指す用語のことです(たとえば「(猫の)ミケちゃん」は固定指示子ですが、「寝ている猫」は固定指示子ではありません)(「可能世界」についてはウィトゲンシュタインら論理学者の定義をご参照ください)

 

固定指示子を導入することで同一性文の真偽を判断することが出来ます。

 

「AはBである」という同一性文があったとしましょう。このとき、AとBのいずれもが固定指示子であるときに限り、この文は常に真となります。少なくともどちらか一方が固定指示子でない場合、この文の真偽は偶然に依ることになります。

 

これと同じことが同一説の議論にも言えます。

 

同一説は「心の状態は脳の状態である」という同一性文を意味しますが、そもそも心の状態を指す言葉(「痛い」など)と脳の状態を指す言葉(「C繊維の発火」など)は意味論的に異なる舞台にあります。そのため、同一説の同一性文は意味論的に実証が不可能であり、そもそもが論証に値しないといえるのです。

 

要するに、同一説の議論は論証不可能であり、それはウィトゲンシュタインの言うように「語り得ぬもの」であるということです。…だというのに、同一説は正しい!などと安易にほざく語る輩が多くて…僕はうんざりしていたので、『I AM』のテーマに加えたという裏話もあります←

 

 

5-2 個人的自我から社会的自我へ

 

誠ははじめそれこそエマーソンの言うような個人的自我の在り方を志向していました。しかし凛たちと出会い、自らの内面・理想・欲望と触れ合うことによって(=自分自身を見つめ直すことによって)、社会的自我に目覚め始めます。

 

誠が志向した社会的自我がどのようなものかについては、本編で十分に語られたものだと思っていますが、敢えてもう一度明言するのであれば、著名な社会学者を何人か挙げなくてはなりません。

 

社会学クーリーが提唱した「鏡に映った自我」という概念があります。他人は自分を映す鏡であり、自分とはその他人の鏡に映った姿であるということです。似たような考えは古今東西どこにでも見られますが、誠が志向した社会的自我はこれに近いです。

 

他にも、社会学ミードの「主我と客我」の概念とも共通性があります。ミードは、他人と比較して相対的に定義される自己の在り方を「客我(me)」と呼び、普遍的に定義される固定された自己の在り方を「主我(Ⅰ)」と呼びました。社会とは、こうした主我と客我の相補的関係によって成り立っており、誠はそうした客我的な自己の在り方を志向したということです。

 

※他にも社会学ゴッフマンの「ドラマツルギー」がこれに当たりますが、クーリーやミードの考えとほとんどが共通しますので、ここで説明することは省きます。

 

5-3 現象主義的独我論からの脱却

 

これが『I AM』の最重要テーマと言ってもいいでしょう。

 

前述の通り、あらゆる認識は主観的であり、自我も他我もその存在は不確実です。これはいわゆる「現象主義的独我論」と呼ばれる考え方です。デカルトらに代表される現象主義的独我論は、科学的にも否定不可能として、比較的たくさんの人に認知されています。

 

…ですが、僕個人は現象主義的独我論が好きではありません。頭ごなしですし、「だから何?」と言いたくなるからです。だから僕は、この現象主義的独我論から脱却したくて、ウィトゲンシュタイン独我論を採用しました。

 

ウィトゲンシュタイン独我論には明確に他者が存在します。独我論なのに他者が存在すると聞くと矛盾しているようですが、それは違います。ウィトゲンシュタインの考えでは、私の論理空間と他者の論理空間が重ならないというだけであって、他者の論理空間の存在そのものを否定してはいません。要するに、ウィトゲンシュタイン独我論は、いわゆる一般的な独我論とは似て非なるものであり、使い古された、僕が嫌うところの現象主義的独我論ではないということです。

 

※勘の鋭い方ならもうお気づきでしょうが、凛たちに役目を超えさせて最後には自我に近いものを抱かせたのはこのためです。ウィトゲンシュタイン独我論を採用するということは他者の存在を認めるということに他ならないため、誠の夢世界にも凛たちに自我を抱かせました。

 

また、他者の存在を否定しないウィトゲンシュタイン独自の独我論を採用することによって、「個人的自我から社会的自我への移行」という他のテーマにも繋がると考えています。

 

6.おわりに

 

以上で『I AM』に対する僕の解釈・考察は終わりとなります。

 

…どうだったでしょうか?

皆様が考察してくださったことと一致していますでしょうか?

それとも全く異なっていたでしょうか?

 

どちらにせよ、考察ゲーとはそもそも考察の内容の是非を問うものではないと思いますので、僕としては考察していただいただけで大大大満足でございます。

 

ここまで読んでいただけた方はお分かりでしょうが、この考察記事では『I AM』の8割ほどしか暴いておりません。

 

屋上での誠と凛の対話が何を意味していたのかは結局ここでは書きませんでしたし、屋上に向かうまでに廊下を歩いたり階段を昇りながらして誠が考えたことについては、ここでは全く触れてもいません。

 

どうしてそうしたかと申しますと、やはり考察ゲーとしての体裁を崩したくなかったからです。

 

この考察記事では物語的な伏線についてはすべて説明したつもりですが、テーマ的なことについてはそれほど多くは語っていません。

 

残りのテーマについてはプレイヤーの皆様が自由に抱くものであり、原作者の僕の裁量が及ぶ範囲ではないと考えているからです。

 

したがって、中途半端に思われるかもしれませんが、この考察記事はこの辺で終わりにさせていただきたく存じます。

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございましたm(__)m

 

皆様へのお願い

 

『I AM』に対して皆様がどう思われたかお聞かせください。

 

皆様がどう解釈・考察しなさったか等をお聞かせいただけると幸いです。

 

そんなことをしてくださる物好きな方はいたとしてもごく少数かと存じますが、もしいらっしゃたら僕としては大歓迎でございます。

 

上述のTwitterアカウントに送るのでも、批評空間のコメント欄やDL.siteのコメント欄に書くのでも結構です。

 

厚かましいとは存じますが、もし『I AM』に何かしらの感想を抱いていただけたのであれば、一言でもいいのでお声がけください。

 

それでは、『I AM』をプレイしてくださった皆様、こんなニッチなクソゲームをプレイしていただけたこと、改めてお礼申し上げます。

 

それでは、また逢う日まで

 

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