エロゲ備忘録~徒然なるままに~

アメーバにて受験生ブログを書いていた元浪人生です。勉強もせずエロゲばかりやっていました。エロゲの感想や個人的批評でも書きます。あくまで備忘録に過ぎませんので比較的薄っぺらい内容の話しかしませんのであしからず…。(2017年追記 〇都大学法学部に合格いたしました)

amazarashiへの考察『ワンルーム叙事詩』(9496文字)【amazarashi】【ワンルーム叙事詩】【考察】

次回予告では「向日葵の教会と長い夏休み」となっていましたが、まだ終わっていないので別の話題にさせていただきます。

 

タイトル通り今回は、amazarashiへの考察の第3弾です!

 

amazarashiについては第1弾の記事をご参照ください。

 

↓第1弾の記事はこち

ame-sara1126.hatenablog.jp

 

今回紹介するのは2010年にリリースされた「ワンルーム叙事詩」です。

 

ワンルーム叙事詩

ワンルーム叙事詩

 

 

※収録されている全曲を紹介するわけではありません。あくまで僕個人が厳選した数曲についてです。独断と偏見に基づいておりますが、あしからず…

 

※考察部分の語尾は、ですます調にしていませんが、特に意味はありません。

 

~目次~

・奇跡(歌詞・詩・考察) 

・クリスマス(歌詞・紹介)

・ポルノ映画の看板の下で(歌詞・詩・考察)

ワンルーム叙事詩(歌詞・紹介)

 

奇跡

今夜生まれてくる命と 死んでしまう命
そして懸命に輝く命と 無駄に生き長らえる僕
「こんな夜は消えてしまいたい」とよく思うけれど
お前なんか消えてしまえ 何で今日まで生きてたんだ

 

無駄じゃないって思いたくて 此処まで無理して走ったんだ
この先もそうするつもりだよ それも無駄になったらどうしよう
「こんな夜は消えて しまいたい」とよく思うけれど
今終わったら全部が無駄で 何か残したくて生きる

 

正解でも 間違いでも それが分かるのはどうせ未来 今は走るだけ

 

生まれた事が 奇跡だったら 息をするのも 奇跡 奇跡
ここで笑うか 泣き喚こうが どっちにしても 奇跡 奇跡

 

色んな事が起こるものさ 長く生きりゃそれに伴って
嬉しい事楽しかった事 もちろん逆も同じ数だけ
「こんなはずじゃない」と 思うのは僕らの傲慢で
引き金になった出来事が 過去には無数に存在する


それを一々悔やんだって 今更どうにもなりはしない
核心はもっと深いところ 僕が生まれた所以に至る
父と母の出会いから もっと言えばその血筋から
そして最後に行き着く場所は 宇宙の始まり その確率

 

愛してます その気持ちは どっからやって来て
何処へ消えるんだろう 何故消えるんだろう

 

愛されたのが 奇跡だったら 愛した事も 奇跡 奇跡
幸せだった それでよかった 後悔しない 奇跡 奇跡

 

唇噛み締めて自分の無力さになす術もなく 泣いた悔しさ
身体半分持ってかれるような 別れの痛みとその寂しさ
それさえも奇跡だと言えたなら 思えたなら
無価値な事も特別になる ありのままで奇跡だから

 

生きてる事が 奇跡だったら つまずいたのも 奇跡 奇跡
歩き出すのも 諦めるのも 好きにさせろよ 奇跡 奇跡

 

つまずいたのが 奇跡だったら このもやもやも 奇跡 奇跡
立ち向かうのも 引き返すのも 僕らの答え 奇跡 奇跡

 

amazarashi 奇跡 

 

この曲はYouTube等にも聴けるものが存在しなかったので、歌詞しかありません。

 

それと、楽曲と一緒についている詩も一緒に紹介します。

 

僕の奇跡は言い訳だ

 

とうしようも無い状況で

救いようも無くて

それでもまだ

どうにかしたいと願う力だけが残っているなら

全てが奇跡だと言い張るしかないじゃないか

 

些細な事で傷つく弱さも

すれ違いざま肩がぶつかった男の舌打ちも

どこか遠い国の戦争も

季節の変わり目に止まない咳も

ふがいない自分も

全てが奇跡だと言い張るしかないじゃないか

 

でも

全てが奇跡なら

奇跡なんか無いってのと同じだな

って、気が付いたのはつい最近

 

何にも変わらねぇな

って言いながら

何にも変わらねぇな

って言えている自分に驚いた

 

amazarashi 奇跡 詩

 

では、上記の歌詞・詩を参考にした考察を書いていきたいと思います。

 

今夜生まれてくる命と 死んでしまう命
そして懸命に輝く命と 無駄に生き長らえる僕
「こんな夜は消えてしまいたい」とよく思うけれど
お前なんか消えてしまえ 何で今日まで生きてたんだ

 

冒頭からして闇を感じさせる歌詞となっているが、この曲を単なる鬱ソング・自虐ソングと捉えてしまうのはもったいない。

 

当然のことであるが、この世はいつもどこかで必ず新たな命が生まれ、そして死んでいっている。

 

その命の中には、懸命に輝くものもあれば、ただ無為に続いているものもある。

 

「僕」自身も、匿名の生死の繰り返しの世界にいるが、彼はその後者に当たると自覚している。

 

だから「僕」は、夜が来るたびに何でこんな自分が生きているのかと考える。

 

※一般に、昼より夜の方が希死念慮が強まると言われています。

 

無駄じゃないって思いたくて 此処まで無理して走ったんだ
この先もそうするつもりだよ それも無駄になったらどうしよう
「こんな夜は消えて しまいたい」とよく思うけれど
今終わったら全部が無駄で 何か残したくて生きる

 

正解でも 間違いでも それが分かるのはどうせ未来 今は走るだけ

 

自分の生が無駄じゃないと思うためにはどうしたらよいか。

 

最も思いつきやすい解答は、自己肯定をなしてくれる存在を見つけることだろう。

 

だから「僕」は無理してでも今まで走ってきた。

 

この先もいつか報われると信じて走っていくつもりだが、もし永遠に報われなかったとしたら…と考えると恐ろしくなる。

 

それでも「僕」にはそれ以外に方法なんてない。

 

正解でも間違いでもそれが分かるのはどうせ未来なのだから。

 

だから今の「僕」ができるのは、いつか報われる(自己を肯定してくれる)と信じて、走ることだけ。

 

色んな事が起こるものさ 長く生きりゃそれに伴って
嬉しい事楽しかった事 もちろん逆も同じ数だけ
「こんなはずじゃない」と 思うのは僕らの傲慢で
引き金になった出来事が 過去には無数に存在する


それを一々悔やんだって 今更どうにもなりはしない
核心はもっと深いところ 僕が生まれた所以に至る
父と母の出会いから もっと言えばその血筋から
そして最後に行き着く場所は 宇宙の始まり その確率

 

よく「悪いことがあれば、良いこともある」と言われる。

 

おそらくそれは経験論に基づくのだろう。

 

だが、時にそれは当事者にとっては理不尽に感じるものとなる。

 

悪いことがあったとき、当事者は「こんなはずじゃなかった」と思うはずだ。

 

だが、そう思えるのは「傲慢」だからに過ぎない。

 

その悪いことの引き金となった出来事が過去にあったのかもしれない。それを当事者たる「僕」は忘れてしまっている。

 

その引き金は、父と母の出会いかもしれないし、その血筋そのものかもしれない。

 

だがいずれにせよ最終的に辿り着くのは、宇宙の始まり、すなわち人間が人間であり始めたときだ。

 

もっと個人化して言うならば、「僕」がその生を受けた時からそれは必然だった。

 

つじつま合わせに生まれた僕等」という曲でも同じようなことが歌われていた。

 

この世界は当番制の世界であり、良い役と悪い役はあらかじめ決まっている。

 

この「奇跡」という曲でも、それに近いことが歌われていると思われる。

 

良いことがあったとしても、悪いことがあったとしても、それは当事者には分からないものだ。

 

だから当事者たる「僕」に出来るのはただ受け入れること。

 

 生まれた事が 奇跡だったら 息をするのも 奇跡 奇跡
ここで笑うか 泣き喚こうが どっちにしても 奇跡 奇跡

 

愛されたのが 奇跡だったら 愛した事も 奇跡 奇跡
幸せだった それでよかった 後悔しない 奇跡 奇跡

 

生きてる事が 奇跡だったら つまずいたのも 奇跡 奇跡
歩き出すのも 諦めるのも 好きにさせろよ 奇跡 奇跡

 

つまずいたのが 奇跡だったら このもやもやも 奇跡 奇跡
立ち向かうのも 引き返すのも 僕らの答え 奇跡 奇跡

 

受け入れるしかないとは言っても、その受け入れ方は人によって異なるだろう。

 

「僕」が選んだのは、全てを「奇跡」と思うということだ。

 

どうしようもない状況で、それでもどうにかしたいと願う力だけが残っているなら、全てが奇跡だと言い張るしかない。

 

だが、それは「言い訳」でもある。

 

全てが奇跡だとしたら、そんなのは奇跡ではない。

奇跡なんか無いってのと同じだ。

 

それは「僕」も分かっている。

 

だから「歩き出すのも 諦めるのも 好きにさせろよ」と歌う。

 

生まれたことが奇跡なら、息をするのも奇跡だ。

愛されたのが奇跡なら、愛するのも奇跡だ。

つまずいたのが奇跡なら、このもやもやも奇跡だ。

 

そして、立ち向かうのも、引き返すのも、「僕」の答えであることには変わりはない。それはどちらも「僕」の答えであり、奇跡である。

 

要するに、全てを奇跡と思うのは、確かに「言い訳」に過ぎない。

 

だが、それはいずれにせよ「僕」の答えである。

 

だから、言い訳だとしても、それは一つの立派な手段だった。

 

何でもかんでも奇跡だと歌う曲は腐るほどある。

 

だが、これほどまでに悲壮な奇跡を歌った曲が他にどれだけあるだろう。

 

やはりamazarashiは悲壮的希望を描くのが上手い、と感じさせる曲だ。

 

 ↓iTunesで視聴だけならできます

奇跡

奇跡

  • amazarashi
  • ロック
  • ¥250

 

クリスマス


amazarashi 『クリスマス』

小さな雪の粒も積み重なれば景色を変えるのは不思議ですね

どうしようもない日も積み重なれば年月となるのは残酷ですね

僕が真夜中の部屋で一人今年の懺悔を始めた頃

遠い街の少女が丁度眠りについた時 雪が降り出した

 

罪深い三百幾日に白い雪の粒が舞い落ちて

それが年明けまで続けばこの過ちも枯れてくれるかな

どこか遠くミサイルが飛んで流星と見間違えた少女

願いを一つ唱えたところ今日は美しいクリスマス

 

街のドブ川に冬の星座が健気に光るから石を投げ入れた

水面に千切れて別れた双子座の再会を待ってたらバイトに遅れたよ

イヤフォンの中でしゃべるFM曲紹介で途切れた音の間に

ぶつかった男の舌打ち地下鉄の風は故郷の 海風に似てる

 

罪深い三百幾日に白い雪の粒が舞い落ちて

それに心がかじかむのなら僧しみも凍ってくれるかな

どこか遠くミサイルが飛んで流星と見間違えた少女

願いを二つ唱えたところ今日は美しいクリスマス

 

汚れた僕が汚した世界だからこそ嫌いになれないよ

相変わらずの世界だから君には見せたくないんだけど

どうか失望しないように どうか言ってくれないか

それでも好きだと

 

罪深い十二月の朝に白い雪の粒が舞い落ちて

それに優しさが埋もれたならこんなに眩しいわけはないよ

どこか遠くミサイルが飛んで流星と見間違えた少女

願いを三つ唱える前に目を覚ましたらパパのプレゼント

さぁ祈ろうぜ世界の為に救いようない僕らの為に

見てみろよ酷い世界だろ今日は美しいクリスマス

 

amazarashi クリスマス 歌詞

 

幸い、この曲はYouTubeに公式MVがあります。

 

これはいわゆる世にあるクリスマスソングとは明確に異なります。

 

空を見上げて、「流れ星だ」と思った少女…

 

でも、それは流れ星ではなく、空を飛んでいくミサイルでした。

 

とてもクリスマスソングに歌われる内容ではありませんよね。

 

作詞者たる秋田ひろむ氏が、皮肉的にクリスマスの幻想世界を歌った曲だと思います。

 

だが、それでいて最後は「美しいクリスマス」で終わる…

 

そこにamazarashiの妙があると思います。

 

ポルノ映画の看板の下で

古びた団地の陰が伸びる 荒れ果てた花壇飲み込む 子供がペンで書いた墓標 吹き曝しの無常に花も咲かねぇ
風来のカラス水遊び タクシー会社の駐車場 錆びたフェンスが路上に朽ちて この街の裂傷跡みたい

辛い辛いとはよく言うが 苦悩で死んだ例は無し 寂しげな気分が丁度いい 常日頃私に丁度いい
だから私はそれを纏って 夜空の舞台の道化方 降るのは星屑かゴミ屑か どっちにしろ屑に変わりねぇ

生きてくのが面倒なら 死んじまうのも面倒だ 曲を作るのも面倒だ 世界中みんな面倒だ

ポルノ映画の看板の下で ずっと誰か待ってる女の子 ふざけた日常 マフラー代わりにしても
かじかんだその未来 ぬくむ事無く
夢なんてもんは偶像だ それを崇める私、背徳者 願えば叶うよ 叶うよ 叶うよ
うるせぇ背後霊 才能不在

桜が散って綺麗だからと 人生に例えてしまう程の 人並みのロマンチシズムなら 私も持ち合わせていますが
花が散ったと涙をして 花が咲いたと涙をして 遂には終日涙して これが鬱と気付いてりゃ世話ねぇ

前向くのが面倒なら 後ろ向くのも面倒だ 眠りにつくのも面倒だ 一切合財面倒だ

ポルノ映画の看板の下で ずっと誰か待ってる女の子 ふざけた思い出を ピアスにして飾っても
無表情な日々は 立ち去るばかり
夢こそが最後のメシアだと それを流布する誇大妄想狂 願えば叶うよ 叶うよ 叶うよ
うるせぇ背後霊 才能不在

街ノ灯ニハ冷笑ガ群ガッテ 点イテハ消エル光明 浮カブ顔ノソレゾレ
光トハ絶エザル灯ニシテ 疑ウベキハ自己ノ思弁 ツマリ諦観
諦メノ果テニ 流シタ血ノ赤 故郷ノ空ノ赤 炎上スル死地ノ赤
冷々ト流ルル 唯歳月ハ流ルル ソレニ空シイモアルカ ソレニ根源ナドアルカ

ポルノ映画の看板の下で ずっと誰か待ってる女の子 ふざけた希望を 花瓶に挿して飾っても
殺風景な日々は 味気ないまま
夢こそが人の闘争だと それを誇示する私共シンパ 願えば叶うよ 叶うよ 叶うよ
うるせぇ背後霊 才能不在

 

amazarashi ポルノ映画の看板の下で

 

こちらは聴ける動画がありませんでしたので、歌詞だけです。

 

ですが、これは僕が最も好きな曲と言っても過言ではありません。

 

ぜひ、アルバムを買って聴いていただきたい…

 

同封されている詩も載せておきますね。

 

空虚な目で見れば

そり世界は空虚だ

 

空虚な目で見て

空虚な足で歩き

空虚な無学さで

空虚な憂いを歌い

空虚な誉め言葉を頂いて

空虚な自尊心をやっとこさ満たし

空虚なこの街で

空虚な女の子と

空虚な人生の岐路で

すれ違う事も良くある空虚

 

僕が見ている世界と

同じ世界を彼女を見ているのだ

という過敏な自意識も

だらしない程にまた空虚

 

amazarashi ポルノ映画の看板の下で 詩

 

では、考察を書いていきます。

 

これは…本当に…購入して聴いていただきたい…!

この1曲だけでも…購入して聴いていただきたい…!

 

そんな思いを込めて、考察を書きます。

 

古びた団地の陰が伸びる 荒れ果てた花壇飲み込む 子供がペンで書いた墓標 吹き曝しの無常に花も咲かねぇ
風来のカラス水遊び タクシー会社の駐車場 錆びたフェンスが路上に朽ちて この街の裂傷跡みたい

 

この曲が伝えんとするメッセージは全てサビに集約されている。

 

だから正直な話、サビ以外の部分は考察を省いても良いと思うが、やはりAメロやBメロがあってこそサビが映えるというものであるので、一応書いておく。

 

サビ以外の部分では、基本、退廃的な情景を描いている。

 

以下に僕が想像したその情景をまとめるが、それ自体には退廃的世界観を描いた以上の意味はなく、さほど執着する必要はないと思われる。

 

舞台は、古びた団地。

 

その陰が伸びるということは、太陽が傾き、夕暮れになったということ。

 

その団地の影は、団地の脇にありもはや誰も手入れをしなくなった荒れ果てた花壇に覆いかぶさる。

 

その花壇の近くには子供の落書きがある。

 

それは、子供の落書きがあっても誰も気にしないほど花壇が見捨てられたことを暗示し、いわば子供が描いた花壇(ひいては団地全体)の墓標だ。

 

タクシー会社の駐車場では、カラスが水遊びをしている。

 

これも団地と同じく、寂れた退廃的な世界観の例示だろう。

 

その駐車場の錆びたフェンスは、街全体が寂れたことを表しているようで、それはまるでこの街の裂傷の跡のようだ。

 

辛い辛いとはよく言うが 苦悩で死んだ例は無し 寂しげな気分が丁度いい 常日頃私に丁度いい
だから私はそれを纏って 夜空の舞台の道化方 降るのは星屑かゴミ屑か どっちにしろ屑に変わりねぇ

 

ここからメッセージが如実に表れてくる。

 

「私」は、辛い辛いとはよく言うものの、もちろん実際にその苦悩で死んだことはない。

 

むしろ「私」は、苦悩を常に抱いている状況を、一種の安寧にとすら感じている。

 

より簡単に言うならば「私」は、苦悩を抱いている自分に酔っている。

 

寂しげな気分は「私」を「私」たらしめてくれる。

 

だから「私」には、寂しげな気分がちょうどいい。常日頃、「私」にちょうどいい。

 

生きてくのが面倒なら 死んじまうのも面倒だ 曲を作るのも面倒だ 世界中みんな面倒だ

 

前向くのが面倒なら 後ろ向くのも面倒だ 眠りにつくのも面倒だ 一切合財面倒だ

 

だが、その負の心情に酔っている(より安易に言うなら、ネガティブになっている)と、全てがマイナスに働いてしまう。

 

生きてくのが面倒だと感じるなら、死んでしまうことも面倒に感じるはず。

そして、しまいには世界中みんなが面倒になってしまう。

 

ポルノ映画の看板の下で ずっと誰か待ってる女の子 ふざけた日常 マフラー代わりにしても
かじかんだその未来 ぬくむ事無く
夢なんてもんは偶像だ それを崇める私、背徳者 願えば叶うよ 叶うよ 叶うよ
うるせぇ背後霊 才能不在

 

このサビの部分が、この曲のメッセージを表している。

 

ポルノ映画の看板の下でずっと誰かを待っている少女。

 

これは冒頭と同じく寂れた、退廃的な世界観を表しているに過ぎない。

 

ふざけた日常(楽しくもありふれた日常)をマフラー代わり(心の寂寞を癒すもの)にしようとしても、効果はない。

 

夢なんてものは偶像だ。

 

そんなことは頭では分かってる。だが、それを捨てることが出来ない。

 

捨てられないどころか、夢を信じている(言い換えるなら、奇跡を信じている)。

 

いわば背徳者だ。

 

そんな自分を「私」は嫌う。

 

「願えば叶うよ」と人は言う。

 

だが、そんな言葉には一切の価値もない。

 

それが間違いだと「私」自身が証明しているからだ。

 

「願えば叶う」なんて言葉は間違いで信じるべきでないことは「私」も分かっている。

 

だが、それでも期待してしまっている自分がどこかにいる。

 

まるで背後霊のように。

 

だから「私」は、「うるせぇ背後霊」と語るが、それは自分に言い聞かせている言葉でもあった。

 

ポルノ映画の看板の下で ずっと誰か待ってる女の子 ふざけた思い出を ピアスにして飾っても
無表情な日々は 立ち去るばかり
夢こそが最後のメシアだと それを流布する誇大妄想狂 願えば叶うよ 叶うよ 叶うよ
うるせぇ背後霊 才能不在

 

ポルノ映画の看板の下で ずっと誰か待ってる女の子 ふざけた希望を 花瓶に挿して飾っても
殺風景な日々は 味気ないまま
夢こそが人の闘争だと それを誇示する私共シンパ 願えば叶うよ 叶うよ 叶うよ
うるせぇ背後霊 才能不在

 

サビごとに若干の歌詞内容は変わるが、伝えたいことは変わらない。

 

夢こそが最後のメシア(救世主)だと信じてしまっている自分。

 

そしてそれを流布している誇大妄想狂の自分。

 

※誇大妄想狂とは精神病理用語で、自分を実際より大きな存在と思うことです。

 

また同じように、願えば叶うと背後霊が囁いてくる。

 

夢こそが人の闘争だと信じてしまっている自分。

 

そしてそれを誇示している自分。

 

「シンパ」とあるように、それは「共感・同情(sympathy)」を感じさせる。

 

「願えば叶うよ 叶うよ 叶うよ」と、依然背後霊が囁く。

 

それを否定しつつも抗えない「私」

 

これは私達にも通ずるものがある。

 

誰しも夢(理想と言い換えてもいい)がいつか叶う(報われる)と心の底では信じているはずだ。

 

しかしそれは多くの場合、ただの夢で終わる。

 

上手く言えたかは分かりませんが、これで僕の考察は終わりたいと思います。

 

これは本当に名曲だと思いますので、ぜひ聴いてほしいです…

 

歌詞だけじゃなく、秋田ひろむさんの歌声と歌い方が加われば、自ずと自分なりの考察は浮かんでくるものです。

 

 ↓ぜひご視聴ください!

ポルノ映画の看板の下で

ポルノ映画の看板の下で

  • amazarashi
  • ロック
  • ¥250

 

ワンルーム叙事詩

家賃6万のアパートで僕らは世界を旅する 燃える都市 干上がった運河 呆然と立ち尽くす老人
僕らのワンルーム叙事詩無線LANで 半永久的に加速する その遠心力で横転した 原型をとどめてない幸福
そいつを僕に売ってくれよ 笑える心を売ってくれよ 本日天気は終末型 頼みの理想もしなびたか
世界が終わる もうすぐ終わる 空しい 寂しい が新しい流行 もう全部嫌になったから この部屋に火をつけた

 

燃えろ 燃えろ 全部燃えろ
この街の美しい朝日も そいつに不似合いな思い出も 再戦の明日に勇む夢も
雨にも負けて 風にも負けて 雪にも夏の暑さにも負けて
それでも 人生って奴には 負けるわけにはいかない
一人立ち尽くす そこはまるで焼け野原

 

黙って炎を眺めていた 次第に騒がしくなる路上で 世界は無声映画の スローモーションみたいに滑稽に見えた
サイレンでふと我に返った 帰るべき我がある事に驚いた あぁ 僕はまだ 僕である事が許されるみたいだ
赤いランプで途切れ途切れに 照らされる隣人の狼狽 膜一枚隔てた外で この街は夏祭りの様相
薄笑いをこらえきれなくなったところで 羽交い絞めにされた 僕は 僕は 必死に叫んだ 消すなそいつは僕の魂だ

 

燃えろ 燃えろ 全部燃えろ
これまで積み上げたガラクタも そいつを大事にしてた僕も 奇跡にすがる浅ましさも
雨にも負けて 風にも負けて 雪にも夏の暑さにも負けて
それでも 人生って奴には 負けるわけにはいかない
一人 立ち尽くす そこはまるで焼け野原

 

どうせ未来は 終点の袋小路 新しい自分を 見つけたいと願うなら
過去の事は燃やしてしまおうぜ 灰になるまで

 

燃えろ 燃えろ 全部燃えろ
古いものは全部投げ入れろ 高くそびえ立つこの炎 この先照らすかがり火としよう
雨にも負けて 風にも負けて 雪にも夏の暑さにも負けて
それでも 人生って奴には 負けるわけにはいかない

 

燃えろ 燃えろ 全部燃えろ
新しい自分に出会うため 溜息で吹き消すな炎 涙で失わせるな炎
雨にも負けて 風にも負けて 雪にも夏の暑さにも負けて
それでも この自分って奴には 負けるわけにはいかない
一人 立ち尽くす そこはまるで 焼け野原

 

amazarashi ワンルーム叙事詩

 

これは以前紹介した「夏を待っていました」と同じように、物語調の楽曲となっています。

 

虚無感を抱えた主人公が、自らの家に火を放ち、燃え盛る炎の中に自分の生を見ているというお話です。

 

amazarashiらしいと言えばらしいですが、狂気を感じさせますね。

 

しかしこうした激情の中にも津々と生を見つめる主人公の情況が読み取れます。

 

アルバムの表題にもなっていますので知名度は高い方です。(まぁamazarashiなので全国的な知名度は本当に低いのですが…)

 

それでは、また逢う日まで…

 

(追記)

次回こそは「向日葵の教会と長い夏休み」について書くと思います。

 

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